今回は〈ティソ〉が1940年代に手掛けたこちらの腕時計から。
35mmのラージケース、ルーレット上にセットされた夜光アラビア数字というユニークな表情が魅力的な一本です。1940年代というと、アール・デコの影響は徐々に薄れ、モダニズムとの融合を経て腕時計デザインは新たな局面に入る過渡期。しかしよくみるとこの中にも、典型的なアール・デコ・デザインが潜んでいます。

 

 

 

アール・デコの黎明期、1915年の資料。この中に多く見られるのが、ミニッツインデックスをアワーマーカーの内側にセットするスタイル。これが先ほどのティソと共通する部分です。
このスタイルはなぜ生まれたかというと、単なるデザイン上のウィットというわけではなく、当時懐中時計から腕時計へのトレンドの変化がその重要な役割を果たしました。
懐中時計には、文字通り懐(ポケット)に入れておき、それを取り出すという所作が必要です。そのため引っ掛かりのないラウンド形がベストというデザイン上の制約がありましたが、そうした所作が必要でない腕時計はラウンド形という制約から解き放たれ、その黎明期には角形や樽形、果てはハート形などといった自由な発想のケースデザインが生まれました。
しかしながら時計である以上、視認性が損なわれてしまっては本末転倒。特に角形のケースは文字盤の四隅が針の先から最も遠くなるため、分の視認が困難となってしまいます。ハート形などはほぼ不可能。そのため自然と内側にミニッツインデックスをセットするようになったというわけです。
このスタイルはカルティエの名作「タンク」でもよくお目にかかりますが、このエレガントなスタイルは決してカルティエの専売特許ではないのです。
こうしたアール・デコのリヴァイヴァルはその後も息は長く、1960年代に至ってもそのデザインは広く採用され続けました。主に1950年代から60年代にかけて史上唯一となる英国製腕時計を展開した〈スミス〉も、その多くのモデルにインサイド・ミニッツレールのデザインを採用しています。

 

 

 

セクターダイヤルもほぼ1930年代にしか見られない限られたアール・デコ特有のデザインですが、ごく稀に1940年代以降にそのDNAを宿した個体が突然変異的に見つかります。

 

 

 

左は1940年代後半のバンパーオート式ムーブメントを搭載しつつ、35mmの口径ケースを採用した珍しい個体。あえて実線ではなく配色で表現したレイルウェイ・ミニッツトラックから太いバーインデックスが伸びる。
右は時代がさらに下って1960年代の全回転式オートマティックムーブメントを搭載した、ヒドゥンクラウンが特徴の個体。こちらは数字を一切用いないスタイルがユニークですが、その長いバーインデックスとミニッツトラックの融合は、セクターダイヤルの特徴を捉えています。
ちなみにこの四角いインデックスは1960年代らしい抽象化の進んだデザインと思いきや、その原型が腕時計のアール・デコ爛熟期の1937年の〈ロンジン〉が手掛けた懐中時計に存在しました。

 

 

 

アール・デコ黎明期から1930年代にかけて生まれた腕時計のデザインが、その後数十年にも渡ってそれほど大きく形を変えることなくリヴァイヴァルが繰り返されてきた例は、これら以外にも多く見られます。その影響力の強さは、デザインとしての完成度がいかに高かったかを物語っています。