アール・デコと腕時計

アール・デコという名称は、1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会、正式名称「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels modernes)からアール・デコラティフ(Arts Décoratifs)をとって、後の1960年代に名付けられたことはよく知られています。

このアール・デコに対する理解は、つまり1920〜30年代のフランスで隆盛を迎え、テクノロジーによる美学を直線や幾何学形状、当時頻発した古代エジプトやアステカ美術の発掘に端を発する原色を多用した装飾へと昇華することによって、大量生産とアート&デザインを架橋しようと試みた動き。すなわち、それ以前のアーツ・アンド・クラフツやアール・ヌーヴォーが目指した手工業の回復や生活とアートの融合から、モダニズムの合理主義・非装飾の美学への移行のあいだに生まれた、テクノロジーとアートが交わるデザインのかたちと言えます。

 

 

偶然にも腕時計の黎明期と時期を同じくしたアール・デコ・ムーブメント。この腕時計という先進的なプロダクトもまた、アール・デコの装飾芸術の格好の対象となりました。その端緒にして最盛期である20年代は、まずもって腕時計のケースデザインにおいて花開きました。

 

 

従来ポケットに忍ばせるため懐中時計で当たり前だったラウンド型の制約から解き放たれ、自由を得た腕時計のケースは角形をはじめ様々な幾何学的なフォルムを取るようになったが、文字盤のデザインはいまだ従来の懐中時計を踏襲したままであることは注目に値します。つまり、腕時計におけるアール・デコは、まずもって装身具としての腕時計という捉え方からスタートしたこと、そして時計としての機能にアール・デコが及んでいくのは、続く30年代を待たなければいけないということです。

1930年代には、20年代に嵐のように巻き起こったアール・デコの、およそ機能性を無視するほどの過度にアヴァンギャルドなデザインは落ち着きを見せ、徐々に腕時計というプロダクトがあらゆる面でアール・デコの幾何学模様による装飾に自然に落とし込まれ、独自の展開を見せていきます。腕時計におけるアール・デコは、いわばこの1930年代が最盛期と言って良いでしょう。

 

代表的なアール・デコ・ウォッチデザイン

この時代に生まれたいくつかのアール・デコデザインは、実に様々なものが見られることは周知の通りですが、その後の腕時計デザインに影響を与え続けた普遍的なもの、そして好評を博すものの一時的な流行にとどまったものとが存在し、後者は特にこの時期にしか見られないレアな腕時計デザインとして珍重されるケースも目立ちます。

その代表例が、いわゆるセクターダイヤルです。扇形の図形が円形に展開し、それらを時間の目盛りに適合させるスタイルが特徴で、鉄道線路を意匠化したと言われるレイルウェイ・インデックスとのコンビネーションで描かれることも多い文字盤デザイン。またその中にもいくつかのバリエーションが存在し、日本でいう「東京都ダイヤル」をはじめ、扇形の図形の描かれ方やアワーマーカーの配置の違いで様々なバリエーションを生んでおり、コレクターからの人気が最も高い文字盤デザインのひとつとして知られています。しかしこのあまりにも有名なデザインは、1940年代以降急激にその数を減らし、50年代以降はまず見られなくなるというアール・デコの徒花ともいうべき存在です。

 

 

 

それとは反対に、アール・デコ期に生まれ、その後も腕時計の普遍的なデザインとして採用され続けた文字盤デザインも存在します。それがバー型やバレット(砲弾)型インデックスのダイヤルで、最も有名なの例が1932年に発表されたパテック・フィリップのRef.96、いわゆるカラトラバです。セクターダイヤルのように幾何学的な図形を文字盤いっぱいに描くのとは対照的に、アワーマーカーに採用した長細い長方形や三角形を組み合わせた図形だけでほぼ文字盤の意匠を構成した抽象的でシンプルなデザインは、その後アール・デコに代わって大流行したモダニズム時代における、デコレーション(装飾)を排除し、機能美を追求するコンセプトとも自然に合流しました。

 

 

 

 

バウハウスとアール・デコ

この抽象的なインデックスのデザインは、しばしばバウハウス的と形容されます。しかしそれは、半分当たって半分違うと個人的には思います。というのも、そもそもアール・デコ自体、機械や工業製品のイメージだけでなく、芸術分野において当時流行したキュビズム、当時発掘が相次いだ古代エジプトやアステカの装飾文化といったさまざまな文化の影響を幅広く受けており、それゆえ全世界的に偏在することとなったのですが、同時代に同じく多くの分野に影響を与えたバウハウスもそのひとつにすぎなかったからです。

 

 

さらにいうと、バウハウスも工業生産に関心を持っていたのは確かですが、芸術的な装飾をむしろ控え、クリーンでシンプルな幾何学的フォルムを好んだため、ある意味でバウハウスは正反対の指向性を持っていました。さらにバウハウスは、その特色である予備過程に始まる数多くの芸術科目を総合し、その極致を建築に置いている点で、当時の腕時計のデザインをバウハウス的と呼ぶには無理があるような気がします。

 

 

バウハウスデザインを掲げるドイツのウォッチブランド〈シュトーヴァ〉のオーナーであり”ウォッチビルダー”と称するヨルクは、自ら所有する画像のような文字盤のコレクションを指して「バウハウスダイヤル」と呼んでいるようですが、これらはまさにアール・デコそのもの。ヨルクはバウハウスに大してかなり広義的な理解をしているのかもしれません。

他方アール・デコはその指向性として、アール・ヌーヴォーやアーツ・アンド・クラフツ様式の作品の独自性と独創性を強調し、草花のような有機的なフォルムを特徴とするデザイン指向から分岐したものでした。アール・デコのより平等主義的な目的、つまり美観に優れ、同時に機械生産によって誰もが手に入れられるオブジェクトを作るというデザインコンシャスな目的と、そのデザインを排除する動きを模索したバウハウスとは、全く対照的だったと言えます。ちなみに腕時計におけるバウハウスデザインは、マックス・ビルがユンハンスの腕時計をデザインする1960年代を待つ必要があります。

バウハウスを出発点に生まれたモダニズムは、当時は無機質で息苦しい印象を与えるデザインに批判が集まることもありました。そんな中登場したアール・デコは、バウハウスのモダニズムを踏まえて機能を損なわずに装飾を加えたデザインで注目され、大きな運動へ発展していきました。

 

アール・デコの特異性と魅力

欧米を中心に全世界的に波及したアール・デコと比べると、バウハウスは局地的なものにとどまりました。ほとんど同時期に芽生えたこのふたつの芸術運動の差は、アール・デコがその運動において「理想を掲げなかったこと」が決定的だったのではないかという見方もあります。あらゆる芸術運動が「こうあるべき」という理想を掲げるのに対し、アール・デコは良いと思ったものを、それこそバウハウスもそのひとつとして貪欲に取り込んでいったことが唯一無二の特異性であり、いまも新鮮で魅力的なデザインとして高い人気を誇る理由かもしれません。

以上を踏まえて、次回からはアール・デコが腕時計のデザインに浸透していく過程、あるいはその系譜を、より体系的に分析していきたいと思います。