今回は、腕時計におけるアール・デコの後期、1930年代から40年代の腕時計において現れた、セクターダイヤルと呼ばれるデザインを中心に、その成り立ちと後世への影響を考察したいと思います。

結論を先に述べると、この1930年代に生まれたセクターダイヤルが、その後現行に至るまでの腕時計の文字盤デザインの基礎を築いたといえるのが、今回フォーカスしていく点になります。

 

アール・デコ以前

まず前回の記事で説明したように、アール・デコの腕時計と一口に言っても、1920年代のアール・デコ全盛期の腕時計と1930〜40年代の腕時計とではその特徴は大きく異なります。

つまり前者の1920年代という時期はアール・デコの最盛期であると同時に腕時計の黎明期でもあり、装身具としての面白さが全面に出た結果実用性を度外視するレベルでユニークな腕時計が生まれました。しかしその後1930年代以降は、第二次世界大戦という戦争が腕時計のデザインに深く影響を及ぼしたこともあり、視認性や機能性を損なわないための工夫が、腕時計の随所に見られるようになります。

 

 

この2つの広告は、上が1917年、下は1939年と、20年以上の年代差がありますが、腕時計のデザイン自体の差はルミナスかノンルミナスかの違い程度で、それほど大きく変わっていません。

アール・デコ以前、1910年代の腕時計は第一次世界大戦期の影響により、懐中時計の残像を残しつつも、ミリタリーウォッチならではの実用性の高いデザイン、その後の時代にも通じる普遍的な腕時計デザインが数多く見られます。ローマ数字よりも視認性の高いアラビア数字の多用や、レイルウェイスタイルのミニッツレールも、すでにこの頃から用いられていました。

その後アール・デコを経た1930年代の腕時計を見ていくと、あの明らかに異様だったアール・デコの1920年代がまるで無かったのような、1910年代の腕時計からの正統なデザインの進化を感じます。ケースデザインは完全に懐中時計的なスタイルから脱却し、幾何学的な図形を思わせる角型時計や洗練されたシルエットなど、アール・デコの特徴が腕時計のデザインに親和的に落とし込まれていく過程が明白に表れており、いかに1920年代が異質だったかがよく分かります。

 

セクターダイヤルとそのバリエーション

 

 

そんな中生まれたのが、いわゆるセクターダイヤルです。セクターダイヤルとは、従来用いられていたレイルウェイトラックダイヤルが毎分のみならず毎5分、毎時間と複数の時間単位を示すことができるよう、それらが多層化しセクター(扇)状の模様を描いているのが特徴です。

このデザインはアワーマーカーの抽象化、そして時間の視認をより細かく、正確に行うための工夫の過程から生まれたのではないかと僕自身は考えていますが、結果的にこの動きは様々な種類のセクターダイヤルの派生デザインを生み出し、同時代の腕時計の百花繚乱ともいうべき豊富な文字盤デザインのバリエーションの原動力となりました。

 

 

典型的なセクターダイヤルの例がこちら。1930年代の腕時計で、左のREVUEは12、3、9のメジャーアワーを大胆に大きなフォントで内側に配し、スモールセコンドがほぼ6時の代替となるようなスタイル。この場合、肝心のセクターデザインは外周部に設けられることが多く、レイルウェイが上述したような多層構造をとっているのが特徴です。

右のNISUSもこの時代のセクターデザインの代表例で、REVUEのスタイルがより洗練されていく過程で生まれたものと思われます。内側にはみ出していたアワーマーカーが多層構造を持つセクターデザインと一体化し、視認性が一層向上しバランス良く仕上がっています。

 

 

次に、こちらもやはり1930年代の腕時計。左のOMEGAは、上掲のREVUEのような典型的なセクターデザインですが、右のVettaは一見するとセクターダイヤルとは思えません。しかし上掲のNISUSのセクターデザインの中に埋め込まれる形で存在していたアラビア数字が、このVettaの場合は内側に全数字で配される形となり、その結果重層構造的レイルウェイが外側に凝縮されているのが分かります。

この辺りのデザインは非常に流動的で、左のオメガのようなデザインは先進的、右のVettaはクラシックという受け取り方を当時されていたのではないかと推察します。

 

 

ちなみに、セクターダイヤルの始祖と言われるのがこちら。日本では特に東京都ダイヤルと呼ばれ、東京都のエンブレムのように円周から時間ごとにラインが外側に向かって伸びるユニークなデザインです。こちらのVIKINGのように、ラインが途中で止まっているのがポイント。

さて、こうして様々なセクターダイヤルのバリエーションを見ていくと、そこに通底しているひとつのコンセプトが見えてくるかと思います。それは「放射状に広がる線」というデザイン指向です。これは決して偶然の産物ではなく、文字盤の存在感、視認性を高めつつ、当時のアール・デコがモダンデザインと融合していく時代の要請とが相まって、同時代の様々なデザイナーの頭の中に描かれ、同時に模倣されていったのではないかと考えられます。

 

セクターダイヤルの派生デザイン

そのような考えのもと、次の腕時計を見ていきましょう。

 

 

いずれも1930年代の腕時計で、しばしばアール・デコ・スタイル、もしくは最近だとノモスの影響からか、バウハウス・スタイルと呼ばれることの多いデザインです。このデザインを分析すると、次のようなことが見えてきます。つまり、シンプルな細い線をデザイン上の最小要素とし、それがローマ数字や針のスタイルにまで統一感を持って波及しています。非常にシンプルで無駄を削ぎ落としたデザインですが、先述した「放射状に広がる線」というアール・デコ特有のデザイン指向を、そのエッセンスのみを残して顕在化した格好の例と言えると思います。

前回の記事で詳述したように、まずもって当時のバウハウスは腕時計のデザインに直接的な影響を与えたのではなく、バウハウスの影響を受けたアール・デコによって生まれたと考えるのが自然です。バウハウスはあくまでデザインをしないことで本来必要とされる形状を模索するという動きでしたが、アール・デコは時代の流行がデザインに落とし込まれた結果であり、偶然にもその結果両者に共通するシンプルで抽象的なデザインに着地する形となりました。

次にこのデザインに呼応するこちらの3点の腕時計から、アール・デコの新たな局面が浮かび上がってきます。つまり、放射状に広がる線の指向性を共有するデザインの分化が見えてきます。

 

 

前掲のロンジンの放射状のデザインを、アラビア数字で表現したのが中央のHERMAの文字盤デザイン。ルーレットダイヤルとも呼ばれるように数字の頭が放射状に外を向いているのが特徴ですが、アラビア数字のフォントも意図的に細身なフォルムをしており、より線に近づこうとする指向性が伺えます。

さらに興味深いのが一番右のMido。実は1960年代の腕時計ですが、その文字盤デザインは1930年代でもありえたスタイルです。アラビア数字の代わりに砲弾型のインデックスを放射状に並べる文字盤デザインは、1930年代初頭に生まれたアール・デコ期の産物。その普遍性や後世の腕時計デザインに与えた影響の大きさについては前回の記事でも述べたとおりですが、より敷衍してアール・デコというデザインそのものが普遍的な影響力を持っていたということが言えると思います。

それでは最後に、これら3点の腕時計から何を読み取ることができるか、これまでの説明をもとに考えてみたいと思います。

 

 

一番左から、OMEGAのセクターダイヤル、中央のOCTOはその流れを汲むセンターセコンドモデルのセクターデザインを持ち、一番右のSMITHSはアラビア数字とクサビがミックスした、1960年代の定番デザインを採用したセンターセコンドモデルです。

SMITHSを除く左の2点はほぼ同時代の1930年代の腕時計ということで、そのセクターデザインも非常に似通ったものですが、一番右のSMITHSは1960年代の腕時計。バラバラで見るとそのデザインの関連性は全くないように思えます。しかし今までの説明を前提にこの3点を分析的に見ていくと、SMITHSのデザインは1930年代のセクターダイヤルから派生進化した、このOMEGAやOCTOと同一系譜のデザインだと言うことが浮かび上がってきます。

つまりこの場合、メジャーアワーとして12、3、6、9が描かれているという点、そしてレイルウェイを除き、バーインデックスが楔形インデックスという50年代以降ポピュラーなスタイルに置き換わった形で、この3点は非常に高い共通性を見出すことができるということです。このような飛びアラビア数字の間に楔形インデックスを置くスタイルは、いわゆる偶数飛びなど他にもバリエーションがありますが、それも上掲のNISUSのセクターダイヤルの派生と捉えられます。

 

最後に

以上のように、全く異なるようでいて、その製造背景や世相を加味してこれらの文字盤デザインを分析していくと、一見するとわからなかった共通性が透けて見えてきます。

これまで、その時代ごとに特色ある文字盤デザインのバリエーションが語られることはあっても、それらがどのように影響しあって発展してきたかを考察するような記述はほとんどありませんでした。あるいは腕時計におけるアール・デコやモダンデザインの影響とその分析の蓄積もほとんど皆無と言ってよく、恣意的な意見や間違いも多々見られます。もちろん僕自身もまだまだ研究途上ということもあり、今後も折に触れてこのテーマを一層追究していきたいと思っています。