余談ですが、パテック・フィリップの名品、ref.96について、非常に有名な誤解をひとつご紹介します。
今回1920年代から30年代のアール・デコのデザインをテーマに、そのアイコンのひとつとしてref.96、いわゆるカラトラバをご紹介しましたが、この腕時計のデザインを手掛けたのが、バウハウスに強い影響を受けた英国の時計師、デビッド・ペニーなる人物であったという話。
あらかじめ強調しておきますが、これは全くの嘘です。
この情報は、ウィキペディアをはじめ様々なインターネットサイトや書籍などの記事で語られています。その原因となったと思われるのが、こちらの有名な画像。
見方によってはカラトラバの設計図のようにも見えるこのデッサンの、右下のベルトに沿って”David Penney design”と記載されています。極めて短絡的ですが、おそらくこの情報だけでデヴィッド・ペニーという人物がカラトラバをデザインしたという思い込みが生まれ、それがインターネットの驚くべき拡散力によって流布してしまったと思われます。しかも、「バウハウスの影響を受けた」という謎の尾ひれまで付いて。
結論から言うと、このイラストを描いたデヴィッド・ペニーは、僕の友人です。年齢は僕の父親くらい。そのためref.96が世に出た1932年は、彼は生まれてすらいません。
彼は時計研究者であり、イラストレーター、そして素晴らしいスミスのコレクターで、以前からイギリスに買い付けに行く際に彼とお茶しながら、彼のコレクションを漁っていました。スミスの知識は凄まじく、彼からは毎回非常に多くのことを教わりました。またコロナ禍の際、彼がスミスのコレクションを全て手放すと言って僕にその貴重な品々を譲ってもらったことは、まさに僥倖だったと思います。
話がそれましたが、このイラストは1980年代にパテック・フィリップが出版した書籍の挿絵を頼まれて彼が描いたものです。他にも彼の挿絵はいくつかありますが、次の画像は実際の書籍に掲載されているもの。やはり”David Penney design”の記載もありますね。
そういうことです。よくもまあこんな嘘がまかり通るなあと呆れますが、ヴィンテージウォッチ業界でまともに検証する人もいないので、こういうデマみたいな話は他にもたくさんあるんでしょうね。