今回はちょっとアカデミックですが、1910年代から1940年代まで文献を参照しながら、当時の腕時計のデザインの変遷におけるアール・デコの影響を探ります。

 

アール・デコは腕時計のみならず建築や工芸品の装飾全般にわたる非常に巨大なテーマ。腕時計においてはとりあえずデコってればアール・デコと括られてしまってますが、もう少しだけ分析的に見てみたいと思います。
まずは腕時計黎明期、アール・デコ以前の1914年頃の資料から。腕時計というよりもブレスレットのようなアクセサリーに近く、そのラインナップの多くは女性用を想定している様子。

 

 

 

 

1915年頃。一般にアール・デコが全盛を極めるのが1925年のパリ万国装飾美術博覧会と言われ、その際展示された作品群に共通する新しい装飾スタイルを指すが、紳士用腕時計の分野においては実のところ同時進行と言えず、その前後で際立った変化は見られない。

 

 

 

1917年。アール・デコのデザインとしてしばしば引用されるレイルウェイ・インデックスはすでにポピュラー。

 

 

 

1921年。アール・デコ黎明期。徐々に腕時計の形状にその息吹が感じられる。同時にまた腕時計の黎明期ということもあり、時計としての機能性にはかなり無理をしている様子。

 

 

 

1925年。アール・デコ盛期のレディースウォッチ。一般的だったラウンド形ではなく、自由で多種多様な形状が出てくる。 ミニッツレールがアワーマーカーの内側にセットされる例が少しずつ増えてくる点に注目。

 

 

 

同じく1925年。紳士用には角形のほか、クッションケースやトレンチスタイルのケースも見受けられる。
しかしながらやはり、1910年代と比べて紳士用腕時計はそれほど顕著なデザイン上のアップデートはみられない。おそらく男性にとっては懐中時計がまだ主流を維持していたため思われる。

 

 

 

同じく1925年。紳士用腕時計はどちらかというと角形が主流に。
内側にミニッツレールを置くスタイルはより一般化し、角形腕時計の場合半数以上がこのスタイルをとる。おそらく外側に置くと四隅まで針が届かず、視認性を損なうことを考慮して生まれたデザインと思われる。

 

 

 

1930年代のロレックス。30年代に入っても、それほど大枠で1910年代との大きな違いはまだ見られない。

 

 

 

1931年、タヴァンヌの紳士用角形時計のコレクション。1920年代は多少フェミニンだった角形ケースに、デコラティブで角張った力強い意匠が加わってくる。

 

 

 

1934年。1930年代のアイコン的文字盤デザイン、セクターダイヤルがこの頃に現れてくる。

 

 

 

1937年。腕時計におけるアール・デコデザインの最盛期。過剰なまでに折り重なる線の配置と、セクターデザインの百花繚乱。アワーマーカーも数字以外のモチーフが用いられるように。
セクター、つまり線で分けることで文字盤上の情報をより速やかに視認することが意識された。ここにアール・デコと機能性が合致し、「腕時計におけるアール・デコ」の完成を見る。

 

 

 

上の写真の一部。こういった、数字を全く用いない抽象的なスタイルもすでにこの時期に現れ始めている。

 

 

 

同じく1937年。ヴィンテージウォッチ市場で特に人気の高い、「東京都ダイヤル」と呼ばれる極めて個性的なスタイル。これもセクターダイヤルの一種だが、当時はやや奇抜すぎたためかすぐに下火となる。

 

 

 

1938年。デザインの抽象化が進み、線の細いセクターデザインと呼応するようにケースはシリンダー形が主流を占めてくる。
対照的にクロノグラフは視認性と実用性を最優先事項とすることから、1940年代後半に至っても三針と比べデザインのアップデートは遅め。

 

 

 

1939年、ドクサのコレクション。線の細いセクターデザインがアラビア数字のフォントをも変化させ、細身で放射状に向かうルーレットスタイルが現れ始める。これも言わばアール・デコ的デザイン志向の一部と言える。

 

 

 

1941年。腕時計は角形とラウンド形がほぼ半々の二極化に向かう。1930年代にアール・デコとの化学反応を経て大きく変化した腕時計デザインを基底に、より洗練が強まる。
具体的にはローマンインデックスの多用、よりすっきりと見せるため文字盤に余白を意識したものが目立つ。

 

1946年。アラビア数字よりもローマ数字やクサビ形インデックス、とりわけドットインデックスが多用されるのが印象的。
アール・デコの意識は薄れつつあるが、むしろそれをどう崩すかが当時念頭にあったと思われる。
この時点で腕時計デザインは新たな局面に入っている。

 

1948年。数字はむしろ鳴りを潜め、やはりドットインデックスの多用が目立つ。
ローマ数字は人気。おそらくアラビア数字と比べて抽象度の度合いが高く、どちらかというとクサビやドットといったアイコニックなイメージに近かったのかもしれない。

 

さて、資料を通してかなりたくさんの当時のデザインを流し見してきましたが、なんとなくその流行の変遷が掴めたでしょうか。こうして見てみると、今まで1940年代だと紹介されていた腕時計も、意外と1930年代のものだったんじゃないかと思えてきます。
そうです。今回の裏テーマは、「1930年代、再考」
アール・デコデザインのクラシックな腕時計=1940年代となんとなく決めてかかっている風潮がありますが、1930年代の腕時計というと、極端に古くて実用性がないんじゃないかと思っている方もいるかもしれませんが、実はそんなことはないのです。