腕時計のケース素材として知られるステンレススチール。
極めて一般的な素材ではあるものの、アンティークウォッチに見られる古いステンレススチールは、いわば「鞣された」ような独特のマットな風合いがあり、現代のものと比べて味わいがあります。
ステンレススチールは鉄を主成分(50%以上)とし、クロムを10.5%以上含んだ錆びにくい合金と主に定義されています。しかしその黎明期に開発されたオールド・ステンレススチールは、鉄やクロムに加えてニッケルが配合されており、その独特の硬質感が経年によって味わいを増すことで、たまらない魅力を放つようになります。とりわけ《ステイブライト》や《デニスチール》と呼ばれるものは、その品質の高さで抜群の人気があります。
「ステンレススチール」という名称が用いられ始めたのはおそらく1930年代後半。もともと1920年代に業界紙が”Unstainable Steel(錆びない鉄)”と呼び始めたが最初のようですが、はじめて商標登録して販売したのは《トーマス・ファース&サンズ(Thomas Firth & Sons)》という鉄鋼メーカーです。ボンクリップの”FIRTH’S STAINLESS(ファースのステンレス)”の刻印にその名を見ることがありますが、同社が1924年に開発したのが「ステイブライト(STAYBRITE)」でした。
ステイブライトは通常のステンレススチールと異なり、鉄とクロム、ニッケルに加えてプラチナの仲間であるロジウムが配合されています。これにより銀無垢にも似たマットで上品な輝きと風合いが生まれるのです。一般的なステンレススチールよりもステイブライトが高価とされているのも頷けます。ちなみに英国のケースメーカー、デニソン社の《デニスチール(DENISTEEL)》も、トーマス・ファース社から原料の供給を受けて製造されていたため実質的に同じ素材と言えます。
ステンレススチールは金無垢や銀無垢、プラチナといった高級素材と比べると、ある意味では「普通」のケースですが、その素朴さや質実剛健さといった力強い雰囲気は大変魅力的でもあります。究極の日常着とも言えるミリタリー・クローズとの相性も良く、またそうした腕時計の多くが堅牢なケース構造や武骨なルックスを持っているため、シンプルなスタイリングにも腕元にインパクトを加えるアイテムとして重宝します。