ヴィンテージウォッチ、中でも1950年代以前の腕時計は、いわゆるメンズサイズでも30mm前後のケースサイズが大半を占めます。クロノグラフでも35mmを超えるものは少なく、まして三針時計ともなれば滅多にありません。
スミスをはじめ、advintageのセレクトはその例に漏れずケースサイズ30mm前後の、現代の感覚では小振りな腕時計が多く、「これってレディースサイズですか?」と尋ねられることもしばしば。確かに40mmを超える現行品を見慣れた人からすると、そう思われても仕方がないのですが、そもそもなぜ当時の腕時計は今と比較して小さかったのでしょうか。
それは、腕時計が市民権を獲得しはじめた1920年代から1940年代において、メンズウォッチとレディースウォッチを区別していたのは、ケースサイズではなくデザインによってだったからです。
レディースウォッチの方がスモールサイズではありましたが、それは女性の腕に煌びやかに生えるラグジュアリーな腕時計デザインを求めた結果であって、サイズありきではなかったことは重要です。
また巨大な腕時計も作られていましたが、それは基本的に民生用ではない軍事用であったり、潜水士用だったりという特殊な用途向けのものでした。ドイツ空軍のBeobachtungsuhr (B-Uhr) に代表される巨大な55mmサイズのパイロットウォッチは、彼らがジャケットの袖の上から装着し、十分な視認性を確保するためのデザインだったし、パネライのマリーナ・ミリターレ用の腕時計が持つ47mmという大きなサイズは、高い気密性と時計精度を担保する設計上どうしても必要だったのです。
また、その当時はまだ懐中時計も現役だったこともあり、それに比べて腕時計は小さくないといけないと考えられていました。もともと腕時計は女性が身に付けるアクセサリーの一種だったことは有名で、男性の腕時計という発想は戦争で兵士が懐中時計を腕に巻き付けて用いたのが始まり。初めて正式に運用されたのも第一次世界大戦以前のボーア戦争と言われています。
そうしたツールウォッチと呼ばれる腕時計は、確かにロマンがあります。特に男性にとっては、独特のデザインと巨大なケースが放つ迫力、そして希少価値の高さは何より魅力的かもしれません。でも合わせやすいかというとむしろ難しく、往々にして腕時計だけが浮いてしまう。
基本的に当時のウォッチメーカーは、最高の精度を最小のパッケージで提供することで自社の技術力とエンジニアリング力の高さを競っていたのです。コンパクトで堅牢なケースに高精度のムーブメントを積んだロレックスのラーレー、スピードキングはその最たる例と言えます。
つまるところ、時計の大きさはメンズとレディースを区別する要素では必ずしもないということ。
メンズウォッチを単純にダウンサイズしてレディースウォッチにするような動きは、おそらく80年代以降のごく最近の動きだと思われます。かつてはそのようなことはほとんどなく、レディースウォッチにはデコラティブで優美なラグデザインやプロポーションが与えられ、メンズウォッチは質実剛健なスタイルを採用することで差別化されていました。大きさは二の次だったのです。
特にこのテーマでジェンダーレスなデザインやジェンダーフリーを標榜するわけではありませんが、まずケースサイズに対する従来のイメージを一旦白紙にすると、ヴィンテージウォッチの本当の魅力が味わえると思います。当時の伊達男たちが身に着ける小振りな腕時計は、今見ても非常にファッショナブルで美しい。現代のコマーシャリズムに毒された価値観だけでヴィンテージを見るのは、極めてもったいないことです。
僕自身、腕時計をご紹介する際は「男らしい」とか「フェミニン」といった形容詞はなるべく使わないようにしています。それが意味するものは、果たしてその腕時計の魅力を引き立ててくれるかどうか自問した結果、そうではないと思ったからです。
そもそもジェンダード・ウォッチ自体古臭いと思っているし、もう他の人にどう思われるかで腕時計を選ぶ時代でもないと思います。似合ってれば。