ドイツが誇る、国内最大の時計メーカー〈ユンハンス〉。
バウハウスの巨人、マックス・ビルのデザインした腕時計を中心に、現在も高い人気を誇るジャーマンウォッチブランドの雄です。1903年には世界最大の製造数を誇った事でも有名ですが、ヴィンテージウォッチにおけるユンハンスの存在感と言うと、いまいちぼんやりしているというのが現状だと思います。
実力がありながら、ヴィンテージ・ユンハンスが市場になかなか現れないのは、現存する個体で良好なコンディションを保ったものが非常に少ないと言う点にあります。

 

ユンハンスの原点となるのは、1861年にエルハルト・ユンハンスがシュヴァルツヴァルト地方のシュランベルクで創業した壁掛け時計工房。「黒い森」を意味するシュヴァルツバルト地方は、木製クロックの原材料である豊かな森林資源に恵まれ、またライン川を中心とした水運による輸出の容易さ、時計製造の本場スイスとの地理的な近さなど、古くから時計産業が根付いていました。有名な鳩時計もその原型はシュヴァルツバルトで生まれました。ユンハンスはその中でいち早く台頭した歴史を持つメーカーではあるものの、その製品は巨大な壁掛け時計や、目覚まし時計と言ったクロック類が中心でした。

 

 

 

 

 

ユンハンスが懐中時計の製造を経て腕時計の生産をスタートしたのは1923年。他の世界的な時計メーカーと比べると、少し遅咲きの部類に入ります。そしてその時の主力商品は、非常にリーズナブルな腕時計が中心でした。
その市場の中心地は、当時世界最大の時計消費地であったアメリカ。現地ですでに人気を博していた、「ダラー・ウォッチ」と呼ばれる受け石を用いないムーブメントを搭載した安価な腕時計に対して、ユンハンスは同じく受け石を用いずも、円錐ピボット軸受を採用したテンプ、クラブトゥース脱進機、耐震装置を備え、安価ながら非常に信頼性の高い腕時計で対抗し、多くのシェアを獲得しました。
しかしながら、それらは受け石を持たない以上、ハイクオリティなムーブメントを搭載した他の腕時計のように、現在もヴィンテージウォッチとして日常使用に耐える寿命を保つ個体はほとんどないのが現状です。
受け石を持つユンハンスのムーブメントでも、その多くは下の画像のような7石のチープなもの。ハイジュエルと呼ばれる15石以上の十分な受け石を装備したムーブメントは少なく、しかもユンハンスは機械式腕時計の製造に早いタイミングで見切りをつけ、電気時計の製造に舵を切ってしまったため、その数は一層限られたものになりました。

 

 

逆に言うと、ユンハンスのハイジュエル・モデルで、良好なコンディションを保っている腕時計は非常に貴重。しかも高い技術力を誇るドイツの工作技術に裏打ちされたクオリティの高いドイツ製ムーブメントは、スイス製に劣らない信頼性とメンテナンス性を持っています。

 

 

 

当店で幸運にも入手できたミントコンディションのユンハンスがこちら。バウハウスやモダニズムの影響が強いデザインが多い中、珍しくミリタリーウォッチ然とした風格ある貴重な一本です。

 

 

搭載されているのは15石の自社製ムーブメントで、1951年から製造が開始されたCAL.98。ユンハンスのトレードマークである、頭文字Jを中心とする六芒星の刻印が見られます。テンプの受け石に被さっている三つ支えのパーツが、「ルビーショック」の名を持つ特徴的な耐震装置。これは裏蓋側だけでなく文字盤側の受け石にも装備されています。
対照的に、モダニズムの影響が前面に出た文字盤デザインを持つのがこちら。もはやアラビア数字は用いられず、高度に意匠化されたこのインデックスデザインは、「スパイダーネット」と呼ばれています。

 

 

1950年代半ばから製造が開始された、17石のセンターセコンドモデルCAL.98S1を搭載。上掲のCAL.98と同様、こちらもルビーショックがテンプの受け石に見られるほか、ムーブメントから三本のバーがケースに向かって伸びているのが分かります。これもユンハンスのユニークなケース内耐震構造で、バネ棒のような構造を持ったロッカーバーがムーブメントへの衝撃を抑えると同時に、機止めの役割も担っています。
英国には〈スミス〉が、フランスには〈リップ〉があるように、ドイツにもユンハンスという純国産のハイクオリティムーブメントを持つ腕時計があります。しかしながら、その魅力はきちんと紹介されていないのが現状。なかなか入手の難しいジャンルではありますが、今後もこのような知られざる名門を追いかけたいと思います。