ヴィンテージウォッチ市場で目にする〈ヴァーテックス〉と〈レヴュー〉。自社ブランドからショップ別注、そしてミリタリーウォッチに至るまで幅広いラインナップを誇った知る人ぞ知るブランドです。

個人的にすごく思い入れのあるブランドで、ヴィンテージウォッチをかなり深掘りしている人でないと聞いたことがないかもしれません。しかしその腕時計はデザイン性に優れ、それでいてムーブメントやケースのクオリティも優れています。それほど知られていないことは確かですが、逆にそれがいい。しかもブランド自体は実は現在も存在しているという数少ない存在であることも、その魅力に拍車をかけています。

それが〈レヴュー・トーメン〉というスイスのウォッチメーカーで、ヴァーテックスとレヴューの両者はその歴史と密接に結びついています。ちなみにヴァーテックスは英国市場だけに限られたブランド、それ以外ではすべてレヴューの名を用いていたことから、ヴァーテックスに関する情報は極めて乏しい印象ですので、まずはレヴュー・トーメンの物語から紐解く必要があります。

 

 

■レヴュー・トーメン(1853-)
レヴュー・トーメンは1853年、スイスのヴァルデンブルクという町が、ジュネーブとバーゼルを結ぶ鉄道が開通し、その間から切り離されたヴァルデンブルグに雇用をもたらすために「Societe d’Horlogerie a Waldenburg」という時計製造会社を設立しました。1859年、この事業はルイ・チョップ(Louis Tschopp)とゲデオン・トーメン(Gedeon Thommen)によって引き継がれ、トーメンも渓谷の様々な村を結ぶ蒸気鉄道「ヴァルデンブルガーバーン(Waldenburgerbahn)」を設立、推進することになりました。二人は個人的に時計製造会社を再建しましたが、まもなくチョップは退社し、その結果、会社は「ゲデオン・トーメン・ウーレンファブリカツィオン(Gedeon Thommen Uhrenfabrikation)」または「ゲデオン・トーメン・ウーレンファブリケン(Thommen Uhrenfabriken)」と名乗るようになったのです。

 

 

ゲデオン・トーメンは、同世代の多くの時計メーカーと同様、レバー・ムーブメントの製造を開始し、交換可能な精密部品を製造するための製造プロセスを開発しました。1885年には、デジタル表示の懐中時計「シュプリンガーウアーGT」(GT=ゲデオン・トーメンの頭文字)を開発し、時計の生産は順調に増え続け、1890年には、父の急死によりアルフォンス・トーメンが会社のオーナーになると、年間1万3000個の時計を生産するまでになりました。1889年にはソシエテ・ドルロジェリー・ヴァルデンブルク(Societe d’Horlogerie a Waldenburg)はパリ万国博覧会で金賞を受賞、そして1905年にアルフォンス・トーメンが有限会社〈トーメンス・ウーレンファブリーク(Thommens Uhrenfabrik AG)〉として登記すると、この頃から初めて「レヴュー」というブランドネームを冠した時計の製造が開始されており、現在の社名である〈レヴュー・トーメン(Revue Thommen AG)〉もこの頃正式に商業登記されました。

レヴュー・トーメン社はその後拡大を続け、ヴァルデンブルク(Waldenburg)、ゲルターキンデン(Gelterkinden)、ランゲンブルック(Langenbruck)に新しい工場を建設。1916年に同社はスイス空軍のためにはじめて航空機クロノグラフの製作が実現し、これにより航空計器のサプライヤーとして軍との長きに渡る関係性が始まりました。

 

■ヴァーテックス・ウォッチ・カンパニー(1916-1972)
ヴァーテックスはというと、実はレヴューが生み出したブランドではなく、1912年にクロード・ライオンズ(Claude Lyons)によって英国ロンドンのジュエリー中心地ハットンガーデンに設立された時計商社〈クロード・ライオンズ〉社が運営する〈ドレッドノート・ウォッチズ〉が母体となります。

 

 

1915年から英国軍の腕時計を手掛けることになった同社は瞬く間に英国で最も成功した時計会社のひとつに成長し、1916年に自社ブランド「ヴァーテックス」をローンチ。その後ヴァーテックスも英国陸軍のミリタリーウォッチを供給する実力派のウォッチブランドへと成長しますが、クォーツ時計の台頭やハットンガーデンの店舗賃貸の期限切れなどの影響を受け、1972年に閉鎖されます。

ドレッドノート社とヴァーテックスに関する資料は極めて乏しく、文献上はその大まかな部分しか掴むことができませんが、状況証拠や時代背景からスイスのレヴュー・トーメンとの何らかの関係があったことは明らかです。ヴァーテックスの腕時計にはすべてレヴュー製のムーブメントを搭載しており、”VERTEX REVUE”と両方のブランド名を併記するパターンの個体も散見されることから、僕の個人的見解としてはドレッドノート社はのちにヴァーテックス社(VERTEX WATCH CO.)として登記し、レヴューの英国における窓口のような役割を担ったと見るのが自然だと思います。

 

 

■航空・軍事業界におけるレヴュー・トーメン

 

 

レヴュー・トーメンは1920年代から1930年代にかけて、シンプルなワイヤーのラグを持つ丸い時計から、非常に印象的なアール・デコの時計を生産するなど、時代とともに変化を続けながら成長していきます。1930 年代初頭の経済不況は時計製造に大きな打撃を与えましたが、レヴュー・トーメンはすでに確立していた航空機用計器事業に専念することでこれに対応しました。

つまり1936年から43年にかけて、高度計、対気速度計、時計、さらにはスイス製複葉機の着陸装置など、スイス空軍のコックピット計器を開発・製造すると、このノウハウは他国でも注目され、レヴュー・トーメンの航空機製品はイギリスやドイツの軍隊でも購入されました。また1939年から1944年まで、ドイツ政府の委託を受けて陸軍、空軍、海兵隊のために「REVUE-SPORT」ブランドで時計を製造しました。

 

 

また1945年からは、レヴュー・トーメンは航空機用計器の魅力をより多くの人に伝えるためにこれらの製品のより幅広い分野への応用を始め、アルピニスト用のポケット高度計や、パラシュート隊員用の高度計などが製造されています。そして一般的な腕時計と軍用・航空用品の区分は、その後2000年にレヴュートーメンAGがスイスのグロヴァーナ社に自社の腕時計の製造・販売のライセンスを供与し、一方レヴュー・トーメンAGは航空計器事業に専念することになったことによって明確化されました。

その後1950年代から1960年代初頭にかけて、レヴュー・トーメンは新しい腕時計ムーブメントの開発を続け、GT82、GT44、GT54、GT56、GT12、GT14を開発しました。そして1961年、時計製造の合理化とコスト削減を目的として、フェニックス、レヴュー・トーメン、ヴァルカン、ブゼル・フレールからなるコンソーシアム、MSRホールディング(Manufactures d’Horlogeries Suisses Reunis)が設立されました。ヴァルカンは製品の商品化、レヴュー・トーメンは部品の製造、フェニックスは組み立てを担当することになり、2000年に解散するまでのおよそ半世紀の長きにわたって続きました。

 

■2000年以降のレヴュー・トーメン
2001年、スイスの大手時計メーカーであるグロヴァーナ・ウォッチ社(Grovana Watch Co.)がレヴュー・トーメン社の時計の生産と世界販売を引き継ぎました。その後もレヴュー・トーメンは、航空用クロノメーター(Airspeedライン)と、独自のマニュファクチュールムーブメントを搭載した伝統的な腕時計を製造しています。

そして2012年、同ブランドの再構築と発展、またスイスのヴァルデンブルグという原点に一歩ずつ戻していくことを念頭に、ジョイントベンチャーパートナーとして”GT Thommen Watch AG(GTWAG)”が新たに設立されました。2014年、このパートナーシップは最終的にレヴュー・トーメンから全ブランド権を、そしてグロヴァーナ・ウォッチ社から生産権を取得します。

2014年には”REVUE THOMMEN”のブランディングを世界に発展させるため香港に販売・流通プラットフォームが設立されました。そして2015年初頭から、レヴュー・トーメンの商標は、ローランド・ブーザーが経営する”Swiss Initiative Limited”によって、GT Thommen Watch AGのライセンスのもとで操業されています。