腕時計の歴史において最初の画期となる時期として1920年代が挙げられます。

 

この時期、腕時計はその製造数において懐中時計を逆転し、凌駕したのがちょうど1925年から35年の10年間でした。ハイスピードの自動車や船、飛行機が発達したマシン・エイジと呼ばれるこの時代、スポーツが盛んとなり、記録がニュースとなった世相を反映してか、スピードが重視され、時間が秒単位で注目されるようになった時代でもありました。

 

女性の社会進出が拡大したのもこの時代でした。1927年にメルセデス・グライツ女史がロレックス・オイスターを腕に着けてドーヴァー海峡を泳ぎ渡ったニュースは、これらのキーワードをまさに凝縮したものと言えます。
そしてこの時期に花開いたデザイン潮流として知られる「アール・デコ」。幾何学的で直線的な装飾スタイルは、この時代に生まれた工芸品や建築物、ことさら機械による大量生産品の多くに強い影響を与えましたが、時計というファッショナブルにしてメカニカルな小さな「マシン」は、このアール・デコが具現化するのに最も適したアイテムでした。
 

 

 

第一次大戦が終わり、狂騒の20年代にピークを迎えたアール・デコは、同じ時期ツタンカーメン王墓の発掘がきっかけとなったエジプト趣味などオリエンタルな趣向とも融合しながら、独自の様式美を生みました。
懐中時計ですら、従来の円形ケースの呪縛から徐々に解放されていきました。かつてのアール・ヌーヴォーに見られた曲線的・有機的な装飾は薄れ、直線的・抽象的なモダニズムの萌芽が見て取れます。ただ、過度にアヴァンギャルドなデザインは1929年の世界大恐慌を経て一旦落ち着き、より人々に受け入れられやすい実用的でスムースなデザインへと移ります。

 

今回のコレクションは、そうしたアール・デコが成熟する1930年代から40年代の腕時計が中心となっています。当時のファッショナブルな腕時計はもちろん、スポーツウォッチやドレスウォッチ、果てはミリタリーウォッチに至るまで、さまざまな腕時計にこのアール・デコが用いられていたことが、今回のコレクションを見るとよくわかるかと思います。懐中時計も少しだけ。

 

今回のテーマを最も端的に表すのが〈ミドー〉が製造した一連の腕時計たち。

 

 

一般的なラウンド形だけでなく、多角形の独特の造形美を持つユニークな防水ケースがミドーの代名詞。文字盤デザインにも幾何学的なアール・デコの特徴が前面に出ており、そのバリエーションの豊富さは他を圧倒するものがあります。
アール・デコの腕時計に見られる特徴的なディテールとは、鉄道線路を意匠化したレイルウェイ状のミニッツトラック、三角や同心円、ローマ数字と言ったジオメトリカルな文字盤デザインのほか、直線的な四角いケースも、アール・デコ期に生まれた新しいスタイルのひとつでした。これらの特徴は、特にヴィンテージウォッチの醍醐味とも言える魅力的な味わいがあります。
1920年代から40年代という時代、アール・デコの影響を強く受けた結果、腕時計のプリミティブな情感をたたえつつ、そこでひとつの完成を見た美しい腕時計。これが今月のテーマです。