アンティーク 腕時計

今回のブランドヒストリーは、前回ご紹介した英国スミス社の腕時計に冠せられたとある名前に隠された過去についてのお話。外伝的な、かなりマニアックな内容となっています。
スミスの腕時計にはいくつかの姉妹シリーズがあり、それらには特有のペットネームが与えられています。とりわけ有名なのは、スミスの腕時計黎明期から存在するベストセラー、「デラックス(DE LUXE)」。名前の割に控えめな王冠マークが特徴。
今回の主役は、スミスの代表作「デラックス」ではなく、それと人気を二分するというよりも、影に隠れた存在かもしれない「アストラル(ASTRAL)」というシリーズです。実はこの名前、スミスがオリジナルではないのです。
アストラルは、元はスミスとは別に英国に存在した、《H.ウィリアムソン(H. WILLIAMSON LTD.)》社を母体とする時計メーカーが保有していたブランドで、スミスが1932年に買収することによってスミスの腕時計シリーズのひとつとなりました。その歴史をひもといてみると、なかなかに紆余曲折ある会社でした。
H.ウィリアムソン社は1868年に創業した宝飾品の卸売会社が母体となります。その後1895年に、イギリス・コヴェントリーの時計製造工場を買収したことをきっかけに、ハンドメイドによるハイクオリティな時計ムーブメントの製造会社へと舵を切りました。とりわけ第一次世界大戦記に英国海軍に納品していたマリンウォッチ(デッキウォッチ)や懐中時計は好評を博していたようです。
実はその裏で同社は、1898年にスイス・ビューレンの時計メーカー《スーター(SUTER & CO.)》社を買収。スイス製の高品質なムーブメントパーツを製造し、それを英国の自社工場でムーブメントに組み上げるという、いいところ取りをしたようなユニークな手法を画策しました。しかしながら、実際にはこの手法で「英国製」を謳うのは当時の商標法に違反しており、ほとんど販売することができなかったという失敗に終わります。
当時H.ウィリアムソンの時計は、基本的に販売店の名前が記載されていました。そして1910年、ついに「アストラル」という名で自社ブランドの時計のリリースが開始されました。その名前が冠せられたのは、主にマリンウォッチでした。「星、天体」を意味するそのブランド名は、おそらく古来より船上で時間や場所を測る物差しとしていた星々が由来となっているのでしょう。
さらに1928年には、同様にマリンクロノメーターのラインナップに、新たに「エンパイア(EMPIRE)」が加わります。こちらもスミスの5石ムーブメントを搭載した人気モデルの名前です。英国が世界に誇る海軍を支えた船上時計の製造で生まれた2つのブランドは、やはり大英帝国や海軍に由来する部分があり、その後スミスが買収することによりシリーズの一部となりました。
「デラックス」に比べると、ややブランドバリューで劣る「アストラル」ですが、僕は大好きです。これは推測ではありますが、スミスの時計作りのノウハウは、アストラルの母体であるH.ウィリアムソン社(買収当時は”English Clock and Watch Manufacturers Ltd.")によるものが大きいのではないかと思います。英国の時計製造の血脈を受け継ぐブランドとして、何か陰の立役者というイメージが、なんとなくクールでかっこいい(笑)
スミスの腕時計には複数のシリーズがありますが、その由来を知ると、なかなか感慨深いものがあります。