ロイヤルオーク神話の再定義、そして一体化ブレスレットの起源を探る試みを経て、ラグジュアリースポーツウォッチは1970年代よりも以前、戦前にすでに存在していたと言うことができたと思います。しかしここでひとつの疑問、ラグジュアリーはどこに宿るか、という問いが残ります。
当時これらの腕時計は、「丈夫だ」とか「正確だ、信頼できる」あるいは「エレガントだ」といったセールストークはあっても、決して「ラグジュアリーウォッチ」「スポーツウォッチ」という紹介はまず見られませんでした。ロイヤルオークの広告に見られるラグジュアリーなステータスシンボルというイメージに特化した訴求ではなく、腕時計の性能それ自体を訴求するものでした。しかしながら当時堅牢性を売りにした古い腕時計は、現代の我々の目に美しくエレガント、そしてラグジュアリーな存在として映ります。その源泉はどこにあるのか、それが今回の記事のテーマとなります。
二つの防水構造 ― 縛るものと解き放つもの
テクノロジーが今日ほど極度に発達していなかった20世紀前半において、それでも時計を守るために数々の趣向を凝らしたケースデザインが生まれ、それらは独特のデザイン性を帯びたものが少なからず存在します。その代表的なものに、いわゆるクラムシェルケースの腕時計が挙げられます。
今も昔も、時計にとっての大敵として水、衝撃、磁気の三要素が挙げられますが、なかでも「水」との戦いはいくつもの独創的なケース構造を生みました。20世紀前半に競い合った方式は数多くありますが、代表的なものは二つです。ケース全体をねじ込む「スクリューバック」と、上下のケースをビスで締める「クラムシェル」。この二つは、防水という同じ目的を持ちながら、外観的なデザインに対してはまるで逆の作用をしました。
スクリューバック ― 最もベーシックな防水構造
スクリューバックとは、読んで字の如く裏蓋をねじ込んで密閉する方式です。源流は古く、英国のアーロン・ラフキン・デニソンが1872年にねじ込みベゼルと裏蓋の特許を取り、1891年にはジュネーヴのフランソワ・ボーゲルが、文字盤もムーブメントも一体にしてケース本体へ前面からねじ込む構造を完成させました。いずれも当時主流の懐中時計向けのものでしたが、ボーゲルは1910年頃からこれを腕時計にも転用し、防水腕時計の土台となります。やがてこの方式は、ロレックスのオイスターへと受け継がれていきました。
堅牢で、信頼が置けるウォッチケースがここに誕生したことで、後で見るJ.W.ベンソンのようなジュエラーたちも、この方式のケースを採ってタフな実用時計を世に出すことが可能となりました。
ただ、この方式には避けられない宿命がありました。ねじ山は円でなければ噛み合いません。だからケースの基本形は、いかんせん「丸」に縛られる。八角形のケースフォルムでさえ、ねじ込むベゼルそのものはラウンド型です。防水のための機構が、形の自由を奪う。スクリューバックは、シンプルで頼れる代わりに、デザインの個性を出しにくい構造だったのです。
クラムシェル ― 形を解き放った異形の防水構造
この問題に対する明確な回答を示したのが、クラムシェルです。ねじ込み式が「ケースを回して締める」のに対し、こちらは上下二つのケースを、ラグの付け根に隠した4本のビスで締めて圧着します。
生み出したのは、スイス・グレンヒェンのケースメーカー、シュミッツ・フレール(Schmitz Frères)。兄弟のオットーとヴェルナーが、1934年から44年にかけて防水ケースの特許をいくつも取った職人たちです。その中心が、スイス特許CH189190。優先日は1936年5月11日、登録は1937年でした。この特許の権利を得たギャレットが、自社のクロノグラフ「マルチクロン30」を防水化し、やがてホイヤー、ブライトリング、タヴァンヌ/シーマ、エテルナ、ティソなど多くのブランドが、同じケース構造を採用していきます。なお「クラムシェル(二枚貝)」は当時の正式名ではなく、後年コレクターの間で定着した通称です。ロレックスの「オイスター」になぞらえた愛称ではないか、とも言われます。
この構造の本質は、密閉を担うのがビスと「鍔」付きの風防であって、ケースの外形ではない、という点にあります。スクリューバックが形を「丸」に縛ったのに対し、クラムシェルはケース本体の輪郭を問いません。丸でも、長方形でも、八角形でも、樽型でも、防水を保てる。しかもシュミッツの特許明細書は、締め付けのためのビスを「ラグの中に隠す」ことで、強い密閉と「美的側面(côté esthétique)」とを両立させる、とはっきり述べています。防水という機能が、ここでは逆に、形の自由を解き放ったのです。
クラムシェルの時計を並べると、特にその形の豊かさに驚かされます。ラウンドケースはもちろん、レクタンギュラー、クッション、オクタゴン、さらには特徴的なラグデザインの数々をもつ腕時計など、同じ数のスクリューバックを集めても、こうはなりません。なぜ、これほど多様で、しかもエレガントなのか。構造が形を解き放ったから、というだけでは足りません。その自由が花開いた1930〜40年代が、ちょうどアール・デコの絶頂期だったからです。
特にアール・デコと角型ケースは、そのルーツを同じくしていました。当時流行した幾何学的デザインが、建築にも家具にも、そして時計にも波及し、長方形の端正なプロポーション、多角形やラウンドといったケースフォルムの多様性を生み出しましたが、これらはアール・デコの語彙そのものです。そこでクラムシェルは、防水という機能を保ったまま、この時代の美意識を丸ごと引き受けることができました。スクリューバックが防水のためにケースフォルムの多様性を諦めたのに対し、クラムシェルは防水を保ったまま、アール・デコの自由な造形を手に入れた。タフであることと、美しいこと。その両方が、ひとつのケースの上で、同時に成り立っていたのが、クラムシェルケースであったということになります。
美意識と実用時計の融合
ここで、ひとつ補助線を引いておきます。クラムシェルが時代の美意識を引き受けられたのは、その構造ゆえだけではありません。アール・デコという様式そのものに、ある特徴があったからです。
アール・デコは、史上初めて「民主化された」美の様式でした。彫刻や建築だけでなく、ランプ、家具、眼鏡、そして時計といった日常の道具にまで、その美意識が浸透した。だから、王侯貴族の装飾品だけでなく、水と戦うための実用時計にまで、幾何学の美が及んだのです。タフな道具が、同時に美しくあること。それが当たり前に求められた時代でした。
スポーツと優雅さが結びついたのも、この頃です。1931年のジャガー・ルクルトの名機「レベルソ」は、ポロ競技で文字盤が壊れるのを防ぐため、ケースを裏返せるようにした時計でした。実用から生まれながら、その姿はアール・デコの傑作とされます。実用の必要と時代の美意識は、対立するどころか、最初から手を取り合っていました。
ただしイギリスで生まれたポロ競技は莫大な維持費がかかる上流階級のスポーツであり、こうした腕時計の販売店であった高級宝飾品店の顧客リストに彼らの名前が載っていたことは容易に想像できます。レベルソに限らず、こうしたハイエンドな腕時計は当時まだ一般庶民には高嶺の花で、ある程度の富裕層向けでした。つまり、販売代理店である高級ジュエラーが実質的に当時のラグジュアリーウォッチの担い手であったことが重要な点だと思います。
ラグジュアリーの所在
その例として二つの服飾・宝飾品店を紹介したいと思います。J.W.ベンソンとエルメス。前者はロンドンの老舗ジュエラーでありウォッチメーカー。後者は言わずと知れたフランスのビッグメゾンです。
J.W.ベンソンは19世紀から20世紀初頭にかけて、英国と欧州の王侯貴族、富裕な実業家を顧客としていました。国内においてはヴィクトリア女王やプリンス・オブ・ウェールズに時計を納めていたほか、国外においてはタイやポルトガル、デンマーク、ギリシャの王室、あるいは日本の皇室、ロシア皇帝など錚々たる名が連なります。ただし、ベンソンはケースもムーブメントも自社では作らず、外部メーカーから調達して自社のスポンサーマーク(JWB)を打刻させていました。厳密には「製造者」より「編集者」に近い。では、ベンソンが時計に与えていたものは何か。自ら発明した機構ではなく、各国の宮廷に納めてきた実績に裏打ちされた信頼です。「By Warrant to HM The King」の刻印は、あの宮廷がこの品質を認めている、という裏書きでした。
次にエルメスです。高級服飾・宝飾品店として圧倒的な存在感を世界に誇るエルメスですが、元は1837年にパリで馬具工房として創業しました。しかしながらこのメゾンが時計を、それもスポーツウォッチを扱ったのは、偶然ではありません。1920年代から30年代、エルメスのデザイナー、ローラ・プリュサックは、新興のビーチスポーツや山岳スポーツ向けの衣料ラインを生み出していました。エルメスの顧客層は元々貴族を中心とする富裕な人々でした。彼らの関心が乗馬から、新しく流行したビーチや山岳のスポーツへと移っていく。エルメスは、同じ顧客をそのまま追って、馬具からスポーツの装いへと商いを広げました。このエルメスの広告(1936年)は、ミドーの防水・耐磁・自動巻きの時計を「あらゆるスポーツのための時計」として紹介しています。
当時の革新的な技術を詰め込んだ機能性とアール・デコの様式とが混ざり合い、独特の機能美を生んだミドーの腕時計と、言わずと知れたスーパーブランド・エルメスのコラボレーション。文字盤にエルメスのロゴが加えられるほか、おそらくそのレザーストラップはエルメス製と思われます。エルメスのように純粋な宝飾品店ではなくファッションブランドとしても有名なブランドが腕時計をリリースする例は当時少数派でしたが、パリ最高峰のメゾンが、自らの名で「これはあらゆるスポーツに応える時計だ」と引き受けたことが重要な点です。
近年スマートウォッチの雄、〈アップルウォッチ〉がエルメス製のレザーストラップとともにエルメスのショップで展開されましたが、この企画によりアップルウォッチがラグジュアリーアイテムとしての側面も獲得したということは言うまでもありません。
ベンソンもエルメスも、時計を自ら製造したわけではありません。けれど、彼らが時計に与えていたものは同じでした。腕時計の「品質保証」です。あの宮廷が認めた、パリのメゾンが引き受けた——その格が、時計の機能と品質を裏書きしていた。ここでのラグジュアリーは、ブランドが時計に付与する記号ではなく、時計の確かさを保証する格でした。
また、この二つのメゾンに限らず、当時ヨーロッパでは宝飾品店が腕時計の販売代理店として顧客との接点を持っていました。特にイギリスでは、津々浦々、規模を問わず各々のジュエラーが自社ブランドの腕時計を製造販売していたほか、数々のブランドの腕時計も取り扱っていました。つまり腕時計はジュエリーと同列に置かれており、こうした高級店が取り扱うことで自然と腕時計にラグジュアリーなイメージが植え付けられていたのではないか。このあたりは主に時計専門店、あるいは眼鏡販売店が時計販売を兼ねていた日本とは、大きくイメージが異なります。
例えばブラヴィントンズ。ロンドンに複数店舗を持っていた老舗ジュエラーで、宝飾品と並んで腕時計を取り扱っていた典型的な例です。
そして現代はロイヤルオーク以降、ラグジュアリーの所在は時計そのものから、ブランドに移りました。ブランドが、時計に価値を「創出」する側に回ったのです。スポーツ選手に着けさせ、広告で物語を語り、入手困難を演出する。時計の機能や品質というよりも、ブランドが与える意味が価値の中心になったと言えます。
同じ「ラグジュアリーブランド × スポーツウォッチ」でも、ブランドの役割が逆になっている。かつては時計の確かさを保証する裏書きであり、いまは時計に価値を吹き込む創出になった。保証から、創出へ。これが、1972年を境に起きた、ラグジュアリーの所在の移動です。
終わりに
1930年代の防水時計は、機能の必然とアール・デコの美意識が出会って、それぞれの形を得ていました。そのラグジュアリーは、ブランドの記号としてではなく、時計そのものの品質と、それを保証するメゾンの格に宿っていた。
ラグジュアリースポーツウォッチは1972年に始まったわけではなく、もともと時計自体に備わっていたラグジュアリーとスポーツの要素が、より一層ブランドバリューに依存するようになった、と言い換えられるのかもしれません。
ラグジュアリーが、まだ時計そのものに宿っていた。その頃のまなざしを想起すると、ヴィンテージと呼ばれる長い時間によって磨かれた普遍的な美に触れる、一つの方法なのかもしれません。

















