Deconstructing the Royal Oak “Myth”

1972年、ジェラルド・ジェンタが手がけたロイヤルオーク。ステンレスに高い価格をつけ、八角形のベゼルとケース一体のブレスレットをまとったこの一本が、のちに言われる「ラグジュアリースポーツウォッチ」を生んだとされています。今、その系譜の時計は、入手困難や転売価格ばかりで語られ、ブランドの記号と化しています。でも、本来のラグジュアリースポーツとは、そういうものだったのでしょうか。
水や衝撃から時計を守ろうとした誠実さが、結果として優雅な佇まいを生む、そんな「意図せざる美」は、ジェンタよりずっと前から存在していました。

1970年4月、まだ春寒の残るスイス。オーデマ・ピゲを率いるジョルジュ・ゴレイは、自社の時計を各国で売りさばく代理人たちとの会合に臨んでいました。イタリアのカルロ・デ・マルキを含むこの面々は、いわば現場の声そのものでしたが、彼らがゴレイに突きつけたのは、「高級の証は、本当に金だけなのか」という問いでした。当時の常識では、高級時計とは小ぶりで、薄く、貴金属でできているもの。スチールは”ありふれた金属”に過ぎませんでした。その前提を、オーデマ・ピゲ側というよりも販売代理店の側が問い直したことがきっかけと言われています。つまり、ゴールドをはじめとする貴金属だけの訴求力に疑問を抱いた販売店の提案、いわば彼らの「ニーズ」から生まれたのです。

その翌1971年。バーゼルの時計見本市を翌日に控えた午後、ゴレイはプロダクトデザイナーのジェラルド・ジェンタに一本の電話をしました。内容は「前例のないスチール時計を、明朝までに」という依頼をし、実際にジェンタは一晩でロイヤルオークのスケッチを仕上げました。これがロイヤルオーク誕生の誕生譚です。極めて華のあるストーリー。この逸話もロイヤルオークの神話に大きな付加価値をつけていると言っても過言ではないと思います。ただ、このストーリーを丁寧に紐解いていくと、この神話のもう少し現実的な部分も見えてきます。

第一に、ロイヤルオークの企画は極めて戦略的なものでした。 クォーツショックで揺れる時計業界が生き残るために、当時オーデマ・ピゲが選んだ道が「機械式の高付加価値化」であったことは、ある種自然な成り行きだったといえます。それでも、発表時の価格3,300スイスフランは、ステンレスでありながら金無垢のドレスウォッチに匹敵する、あるいはそれを上回る水準でした。スチールが、金より高い。当然、この価格は物議をかもし、当初の反応は冷ややかでしたが、美学である以前に、この価格設定自体はAPの経営判断だったと言えます。

第二に、ジェンタは「発明家」というより「編集者」でした。 あの八角形が舷窓に由来するのか潜水兜なのかは諸説ありますが、いずれにせよ既存の何かをデザインに落とし込んだものでした。一体型ブレスレットを実際に手がけたのは、1835年創業の鎖職人ゲイ・フレール。心臓部のキャリバー2121も、もとを辿れば1967年にAP・パテック・ヴァシュロンの三社が共同開発し、ジャガー・ルクルトが供給した薄型機で、同じ機械がノーチラスにも222にも積まれています。優れた時計でしたが、その構成要素のほとんどは、AP単独の発明ではありませんでした。「点と点をつなぐ(Connecting the dots)」。これはその後アップルのスティーヴ・ジョブズの格言ですが、まさにこれと同様の作業を行なっていたのです。

第三に、ロイヤルオークの持つ「スポーツ」という要素。これは単なる記号だったと言わざるを得ません。 ロイヤルオークの防水は50メートル(5気圧)。日常使いには十分でも、本格的なダイビングには向きません。そして当時の広告が売っていたのは、スポーツでも冒険でもなく、価格と希少性とステータスでした。

 

当時のロイヤルオークの広告を見てみましょう。一枚目は、有名な「レンブラント」の広告です。知人に「あのステンレスは、たいていの金無垢時計より高い」と指摘された、という設定で、こう切り返します。それは的を外している。価値は素材ではなく、その金属がどう使われているかに宿るのだ、と。芸術と職人技においては素材だけでは傑作は生まれない、大切なのは「どう使われるか、そして誰が使うか」だ、と結ばれます。表向きは「機能や仕立て」を語りながら、その実、論点を「スチールか金か」という素材から、「誰が持つか」という持ち手の格へと、巧みにずらしているのです。

 

二枚目は、コックピットで正装の男女が寄り添う一枚。見出しは「ロイヤルオークを見分ける確実な方法はただひとつ、自分が身に着けることだ」。本文では、これは優れた仕事を解する者の手首にしか現れない稀少な時計であり、それを確実に味わう唯一の道は「稀少な高みに慣れた、特権的な手首」を持つことだ、と語ります。ここで売られているのは、防水でも精度でもありません。「選ばれた者だけが持てる」という、所属の感覚です。

 

三枚目は、豪華客船のデッキで燕尾服の紳士が語らう一枚。「あの値段で、ボルトを隠しもしないのか」という友人の軽口に、八本のネジはデザインに不可欠で、舷窓のように密閉しているのだと応じ、やがて話は「中の貴き命を守る、力の象徴」というポエティックな結論へと至ります。防水構造の説明が、いつのまにか「持ち主の格を守る象徴」の話に変わっている。

三枚に共通するのは、「この時計で何ができるか」を、ほとんど語っていないことです。潜れるとも、登れるとも言わない。語られるのは一貫して、「これを持つ人間は何者か」。スポーツウォッチを名乗りながら、広告が描いていたのは、コックピットや客船での社交であり、選ばれた者の手首でした。スポーツは、機能ではなく、まとうべきイメージへと変わっていたのです。

このような巧みな広告戦略によってその価値を可視化され伝達された結果、その後を追随するようにノーチラス、インジュニアと立て続けに他のトップブランドもジェンタのデザインを採用した腕時計をリリースし、その地位は確固たるものとなります。

ここで見落としてはならないのは、ロイヤルオークが「ラグジュアリースポーツ」になっていった過程です。先に見たように、発表当初それは決して歓迎されませんでした。流れが変わったのは、時計そのものの力だけではありません。価格の高さをむしろ売りに転じた巧みな広告、つまり「世界で最も高価なステンレス時計」あるいは「レンブラントを、そのキャンバスのために買いますか?」という伝説的なキャッチコピーが、富を誇ることが許容されはじめた1970年代から80年代の空気と、見事に噛み合ったのです。つまりロイヤルオークが伝説になったのは、その造形の必然だけでなく、それを取り巻く言葉とイメージの力によるところも大きかったと言えます。ただ、それは現代に至っては、時計雑誌等で踊る「10万円台で買えるラグジュアリースポーツウォッチ!」などというコピーが物語るように、もはやそれは果たしてラグジュアリーなのかすら怪しい、極めて空虚な概念となってしまっているのも、メジャーになり過ぎたがゆえの裏返しと言えるかもしれません。

そして第四に、最も重要な見落としとして挙げられたいのが、ロイヤルオーク以前に、同じ精神を持つ時計はすでに存在していたということ。ロイヤルオークの40年以上前、1930年代の腕時計に見られる、八角形のケースデザイン。あらゆる障害から守るために生まれたケースデザインが、結果ラグジュアリーな外観を帯びた腕時計。また、ロイヤルオークに象徴されるケースと一体型のブレスレットについては、すでに1930年代から40年代にかけて存在していたし、あるいはブレスレットとの一体感を演出するケースデザインも当時すでに試みられていました。これらはすべて、美しくあろうとした結果タフだった、あるいはタフであろうとした結果美しかった腕時計、あるいはブレスレットたちです。ただ、誰もそれを「ラグジュアリースポーツウォッチ」とは呼んでいませんでした。

ここに、僕自身の仮説の核心があります。そもそも「ラグジュアリースポーツウォッチ」という言葉が、1972年に存在したわけではありません。その呼び名がいつ生まれたのか、はっきりとは分かりません。ただ確かなのは、それがロイヤルオークの成功と、続くノーチラスや追随モデルが出そろったあとに、それらをまとめて指すものとして、のちにそう語られるようになった呼称だということです。つまり言葉は、後から付けられた。だとすれば、「1972年が起源だ」というのも、「いや、もっと前からあった」というのも、同じ後付けの物差しを当てているだけなのかもしれません。ただし僕が問いたいのは、起源の年号ではありません。もっと別のことです。つまりラグジュアリーとは、そもそもどこに宿るものなのか、ということ。
ロイヤルオークが示したのは、そのひとつの答えでした。ラグジュアリーは、素材でも、用途でもなく、ブランドが与える「意味」に宿る、という答えです。けれど、それ以前の時計たちは、基本的にそれとは別の場所にラグジュアリーを宿していました。それが、プロダクトそれ自体の機能美や職人の誠実さだったのです。