advintageが標榜する”Unknown Masterpieces”。その世界観を体現する最推しの英国ブランド〈ブラヴィントンズ(Bravingtons)は19世紀のロンドンに生まれ、二度の世界大戦を乗り越えたのち20世紀後半に静かに幕を閉じた老舗ジュエラーです。ジュエラーでありながら時計商社の顔も持つ稀有な存在で、その時計づくりへのこだわりは折り紙付き。残されたタイムピースは高いデザイン性とクオリティを持ち、同時に強い個性を放つ個体が揃います。
◾️創業——質屋から時計商へ(1860年代〜1900年代)
ブラヴィントンズの歴史は、1860年代初頭にトーマス・ブラヴィントンがロンドン北部ペントンヴィル・ロード208番地に開いた小さな質屋から始まりました。当時の質屋業は今と同様に雑多な商売で、彼はかつて1,000本の葉巻を担保として受け取ったこともあったと伝えられています。1905年頃にはソーホーのウォードゥア・ストリートにも出店し、時計・ジュエリー専門店へと軸足を移していきました。
なお、1939年の広告には「創業100年超」と記されており、そこから逆算すると19世紀前半——1830年代頃にはすでに前身となる商売が始まっていた可能性もあります。
◾️時計ビジネスのスタイル
ブラヴィントンズは自社工場を持つメーカーではなく、厳選したサプライヤーから最高品質のパーツを調達するスタイルでした。ムーブメントはスイスのフォンテンメロン(FHF=Fabrique d’Horlogerie de Fontainemelon)など名門工房から仕入れ、ケースは英国のデニソン社(Dennison Watchcase Co.)、あるいはスイスのフランソワ・ボーゲル社(=タウベルト社 Taubert & Fils)が手がけたものを採用していました。このFB社はパテック・フィリップにも同時期にケースを供給していた名門サプライヤーとして知られています。文字盤に「Bravingtons」と刻み、ブランドとして販売していました。
◾️自社ブランドライン——RenownとWetrista
ブラヴィントンズの腕時計は主に2つのラインに分けられていました。比較的ドレッシーなデザイン性が意識された「Renown(レナウン)」と、スクリューバックを備えた耐衝撃・防水ラインの「Wetrista(ウェトリスタ)」です。Renownの商標は1955年に正式登録されましたが、それ以前から長年使われていた名前です。Wetristaは1930年代から1970年代まで続き、初期のFHF製ムーブメントに始まり、その後ETA製のムーブメントを搭載した後継モデルが作り続けられていました。
また、上記二つのライン以外にもそうしたペットネームを持たない”BRAVINGTONS LONDON”ラインも見られ、こちらはさまざまなバリエーションが存在します。
ちなみに、現代にブラヴィンとンズの優れた腕時計ラインナップを伝える1938年発行のカタログ「The Watch Book」(全32ページ)は、すべての時計が写真ではなく手描きのイラストで彩色されたこだわりの一冊でした。このカタログを制作したのがJohnson Riddle & Co.——第一次世界大戦の有名な徴兵ポスター「Daddy, what did you do in the Great War?」を手がけた会社でもあり、軍と深く結びついたブラヴィントンズらしい因縁です。
◾️第一次世界大戦と軍との縁(1914〜1921年)
第一次世界大戦では前線の兵士向けトレンチウォッチ(塹壕時計)の主要サプライヤーとして英国軍を支えました。1921年には王立砲兵隊のために特別製造された「17石・特別調整・補正テンプ付きレバームーブメント」を1,000個調達し、ゴールドケースに収めて販売するなど、大型の軍需取引も手がけていました。
◾️姉妹ブランド「Rone(ローン)」との深い関係
ブラヴィントンズを語る上で欠かせないのが、姉妹ブランドの「Rone(ローン)」との関係です。英国のヴィンテージウォッチ市場ではちらほら目にするブランドですが、その実態は長らく謎に包まれていました。
Roneの起源はスイスのラ・ショー=ドIフォンにあるCombine Watch Co.が1921年に商標登録したことに遡ります。英国では当初ニール兄弟(Harold NealeとR.A. Neale)がハットン・ガーデン87番地を拠点にRone Watch Co.として輸入販売を行っており、1924〜25年にはグラスゴーにも事務所を構えていました。現存する最古の個体には1925年のロンドンホールマークが刻まれており、1954年の広告に「30年の歩み」と記されていることから、生産開始は1924年頃と推定されています。
両社の結びつきは物理的にも明白でした。ペントンヴィル・ロードにおいて、296〜298番地がブラヴィントンズのダブルフロント小売店舗、294番地がワークショップ兼Roneの英国事務所として機能しており、文字通り同じ屋根の下で営業していました。英国の金銀ホールマーク記録には、1937年・1938年・1968年に「Rone Watch Company & Bravingtons Ltd.」の連名登録が残っており、法的にも深く結びついていたことがわかります。
2024年、当時の元従業員による決定的な証言が寄せられました。1957年に入社したWeechuff氏によると、「ブラヴィントンズはRoneのメインインポーターで、Roneのオフィスはブラヴィントンズの2階にあり、スタッフは両社間を自由に異動していた」とのことです。ブラヴィントンズの取締役はHarold NealeとRaymond Neale、およびその息子Alan NealとBruce Neale——商標の連名登録に記されたニール家が、両社を一体として経営していたことが確定しました。
製品面でも両者の一体性は明らかで、ブラヴィントンズの「Renown」とRoneの時計が同一のFHF29ムーブメントを搭載し、文字盤デザインも酷似していることが確認されています。Roneはムーブメントを自社製造しないアッセンブラーで、1960年代にはAS(Anton Schild)社製オートマチックも採用。「Ronette」「Ronet」というサブブランドも展開していました。結論として、Roneがスイスで時計を調達・製造し、ブラヴィントンズが英国で販売するという役割分担のもと、ニール家が両社を実質的にひとつの企業グループとして運営していたと考えられています。
◾️戦間期の黄金時代——ロンドン5店舗への拡大(1920〜1930年代)
第一次世界大戦後、英国社会が消費と豊かさを取り戻す中でブラヴィントンズも急成長を遂げました。第二次世界大戦前夜には、ロンドン市内の一等地に5店舗を構えるまでになっていました。しかしその多くは戦時中の空襲や戦後の再開発によって失われています。
ペントンヴィル・ロード 294〜298番地(本店/キングスクロス)——アール・デコ調の巨大な壁文字「Bravingtons Rings and Watches」が目印の旗艦店。上掲のカタログ「The Watch Book」の表紙絵は、まさにこのキングスクロス本店が描かれています。1941年のドイツ軍爆撃で被弾したとみられ、現在の跡地にはプレタ・マンジャール、スターバックス、マクドナルドといったチェーン店が並んでいます。
ラドゲート・ヒル 75番地(シティ)——2階建てで制服姿のドアマンを配置。外壁一面に金の時計チェーンと指輪を立体文字で広告していた格式ある店舗でしたが、爆撃と再開発の犠牲となり、現在はシティ・テムズリンク駅になっています。
グランド・ビルディングズ 6番地(ストランド)——トラファルガー広場の斜向かいに位置し、独立した壁掛け時計と温度計を備えた店舗。1990年代に取り壊され、今は現代的な建築に置き換えられています。
オーチャード・ストリート 22番地(セルフリッジズ近く)——最も小さな店舗で、1990年代に閉店しました。
ブロンプトン・ロード 189番地——現在は面影もなく、サービスオフィスになっています。
◾️第二次世界大戦と戦後(1939〜1950年代)
第二次世界大戦中は従軍する若い兵士たちに向けて時計を販売し続け、戦後は英国軍の余剰軍用時計を一般市民向けに提供するなど、軍との関係は戦後も長く続きました。1950年代のペントンヴィル・ロード店(キングスクロス)の外観写真は現在もロンドン交通博物館に所蔵されており、当時の繁盛ぶりをうかがわせます。一方でRoneは1955年にスイスのヌーシャテル州ボール(Bôle)で正式にRone Watch Co. SAとして法人化し、体制を整えていきました。
晩年と閉業(1960〜1990年代)
最盛期を過ぎたブラヴィントンズは徐々に店舗を縮小していきました。最後はフリート・ストリート近くに住所が記録されていましたが、1990年代頃に事業を終えたとみられています。Roneも1970年代中頃には廃業し、クォーツ時計の製造に着手した直後に姿を消しました。閉業の正確な経緯は両社ともに今なお不明で、歴史資料も極めて少ないのが現状です。







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