このほど、advintageで新たに開発を進めていたアイテムがようやく完成しました。それがこちらの「リネンストラップ」です。
きっかけは、J.W.ベンソンの1930年代の名作「トロピカル」の広告に記載されていた”Leather or White Linen Strap”という一文。この腕時計にはレザーストラップもしくはホワイトのリネンストラップが付属することを説明しているわけですが、トロピカルの広告はいくつか種類があり、いずれも”Leather or White Linen Strap”の記載があります。
当時腕時計にレザーストラップが装着されるのはごく一般的ですが、その後に続く「ホワイトリネンストラップ」というのは、そもそも僕自身実物を見たことも聞いたこともありませんでした。さらに衝撃的だったのが、その広告のひとつにこう言及されているものもありました。
“washable White Linen Strap”
この広告は実物を入手していないため解像度の粗い画像しかないのですが、拡大してみると確かにそう書いてあります。このリネンストラップは「ウォッシャブル」、つまり洗濯できるということ。この一文に僕は衝撃を受け、その1930年代に確かに存在したであろう古くて新しいストラップを現代に復刻してみようと決意しました。しかしながら、そこにはまず実物が存在しないと言う大きなハードルがありました。手元にある情報をもとに、文字通り手探りでその実像に迫る作業は苦労はありましたが、実にクリエイティブで心躍る作業でもありました。
まず集めることができた史料、といってもやはり実物はおろか実際の画像等も皆無でしたが、今回のストラップを開発するにあたり以下の3つの条件を設定しました。つまり、
①リネン素材であること
②ベンソンのトロピカル(パリス菅)に装着可能なストラップであること
③洗濯可能(washable)であること
という3つの条件を満たすストラップを作ることになったわけですが、まず①のリネン素材については、そもそも数多ある種類のリネンからどれを選ぶかがまず問題でした。リネンの風合いやテイストも様々で、巷でよく見かけるような普通のリネンは少々カジュアルな印象が強く、僕が求めているような上品さが出ません。
そこで条件の②が絡んでくるのですが、このベンソンのトロピカルに装着されていたであろうリネンストラップを再現するということは、この腕時計の持つ上品さを打ち消してしまってはならないということが重要です。もともとベンソンの名作「トロピカル」は、その名の通り熱帯地方での使用を想定したタフな腕時計ですが、同時に高級感と美しさを兼ね備えるドレッシーな腕時計でもあります。これに似合うリネンストラップは、上品であると同時に、当時の広告で謳われていた”washable”、つまり洗濯可能で繰り返し着用してもへこたれない生地の強さを兼ね備えたリネン生地が必要と考えました。それを求めた結果たどり着いたのが、ビスポークスーツなどに使用される、丈夫で美しい光沢と風合いを持つ英国王室御用達リネンメーカー〈スペンス・ブライソン〉のアイリッシュリネンでした。
そして最高品質と評される同社のアイリッシュリネンの中でも、特に強いコシのある重厚さを持ち、同時に使い込むほどに柔らかくなる経年変化の味わい深さを持つ生地。採用したこの生地は、奇しくもスペンス・ブライソンによって「トロピカル」の名が与えられていました。ある種運命的なものを感じずにはいられないエピソードです。
ちなみに、当たり前ですが今回のリネンストラップはベンソンのトロピカルだけにしか装着できないストラップというわけではなく、ほかのブランドやメーカー、あるいはミリタリーウォッチやドレスウォッチなど、基本的にどんな腕時計にも装着できますのでご安心を。
さて生地が決まった、あとはデザインを決めて裁断して裁縫するだけ、とは容易には行きませんでした。そこから1年以上かけてサンプルを何本も作り、ストラップのデザインや縫製方法を試行錯誤したのです。
ここでも上記②の条件がネックになってきます。今回のリネンストラップをデザインする作業は、ベンソンのパリス菅に当時それがどのように取り付けられていただろうかという、実物や写真がないのを、わかっている情報だけで想像力を膨らませ、時代考証を織り交ぜながら形にしていくという作業でした。
もし一般的な12時方向と6時方向のセパレート式ストラップの場合、パリス菅には直接縫い付けなければいけません。当然それだと取り外して洗濯ができないので、改めて裏から金具で留めるスタイルも検討しました。しかし当時のオープンエンド型ストラップの固定金具は基本的に鉄か真鍮で作られていたため、長期使用によって緑青や錆びの発生が懸念されます。それではホワイトリネンは汚れやすく、洗えるといってもちょっと現実的ではなかったと思います。ということはセパレート式ではなく一本の引き通し式のストラップであれば腕時計の取り外しも簡単にでき、条件③の洗濯も可能になります。そのような過程を経て、引き通し式のストラップという形で大まかなデザインが決まったわけです。
ちなみに引き通し式ストラップの王道、NATOストラップのようなスタイルも検討しました。確かに便利でカッコいいデザインや構造ですが、当時このような折り返す形のストラップ構造は存在しておらず、またそのスタイルは装着すると尾錠まわりにボリュームが出てしまいドレスウォッチにはそぐいません。そのためNATOスタイルは却下し、シンプルな一般レングスのドレッシーなスタイルを選びました。
そして、またもや条件②が最大の困難を与えてくるのですが、多くの古い腕時計の場合、ケースとラグ棒(もしくはバネ棒)とのクリアランスが狭く、1.5mmほどしかありません。ベンソンのトロピカルもまた然りで、この1.5mmというクリアランスに問題なく通る薄さを実現しないといけませんでした。
リネンという天然繊維素材を縫製して1.5mm以下の薄さに仕立てるのはこれが思いのほか難しい作業で、それは生地の裁断面を露出させたままだといずれ糸のほつれが生じるので、端を折り返して縫う必要があるためでした。もちろん裏側も同様に折り返したものを縫い合わせるのですが、そのままだとシワになりやすく依れてきたりして使い物になりませんので、間に薄い芯材を入れる必要もあります。それらを適当に縫製していくと、あっという間に1.5mmの厚みを超えてしまいます。
特に難しいのがストラップの先端部分で、この部分を三角にすると先端の角は裁断の縁が露出してしまい、着用しているとこの角の先からほつれが生じます。米軍で使用されていたコットン素材のストラップは、この角の部分を中心に折り紙のように折り込み三角の形にして無双で仕立てることでそれを避けていますが、この方法では生地の重なりが多くなるため、1.5mm以内に厚みを抑えるのは不可能。もともとこのストラップも1本の引き通しのような形ですが、付属の取り付けマニュアルを見るとバネ棒を使って取り付ける旨の指示が書かれてあるため、引き通しで取り付けることは想定されていませんでした。
余談ですが、クリアランスの狭いヴィンテージウォッチのパリス菅に通せるような天然繊維生地の引き通し式ストラップは、いまのところ市場に存在しません。1930年代のベンソンのトロピカルの広告に言及されていたリネンストラップ以降、もしかすると現在に至るまで作られることすらないのかもしれません。その理由は、リネンやコットンなどの天然繊維の生地を使って1.5mm以下で薄く作ることの難しさに加え、当時ナイロンなどの代替素材が生まれたことが大きな原因だと考えられます。ナイロンは生地の端を熱で溶かして整えることが可能なので、薄く作ることが容易なのです。
結局そこでadvintageがどうしたかというと、先端をすべて細かく均等にラウンド状に折り込むことで裁断面を消しました。言うは易しですが、同時に1.5mm以下を実現するという離れ技は、職人の高度な技術と知識によって実現しました。実際もしかすると当時はもっと大雑把で、生地の端のほつれなどは気にしなかったのかもしれませんが、現代の上質を追い求めた結果たどり着いた形がこれです。またそのステッチも、ドレスシャツを思わせる非常に繊細なものを求めました。
ただ、難問はさらに続きます。尾錠を採用するか否か。これについては非常に悩みました(ここでも何本も尾錠を用いない形を試行錯誤してサンプルもたくさん作りました)が、最終的に採用することになり、そこでぶち当たったのがツク棒を挿し込む穴の処理の大変さでした。これもただ生地に穴をあけただけでは、当然使用するごとに裁断面がほつれてきて残念なことになるため、菊穴にかがるのが当時の定石ですが、現代において菊穴かがりは非常に手間とコストがかかる作業。金属のハトメを使う案もありましたが、それだと確実に1.5mm厚を超えてしまい、引き通しでの装着は不可能です。
縫製を行う職人さんも、菊穴かがりはできないとのことで、縫製とはまた別の職人さんにお願いする形で菊穴かがりを模索することになったわけですが、そのコストの高さに頭を悩まされました。そもそも菊穴かがりは「ひと穴いくら」という工賃設定のため、穴は少ない方がコストは抑えられます。とりあえず3穴くらいでもいいかな、、、という考えも頭をよぎりましたが、ある程度1本で幅広いサイズに対応できた方が圧倒的に便利で、購入される方にとっても1本買えばいろんなフィット感を楽しめたり、他の人とシェアしたりもできます。それに、たった3つしかツク棒穴のないベルトストラップというのは、ちょっと見た目が貧相で高級感に劣ります。それらを考慮すると6穴は必要だろうと決断しました。ここまでくると、もはやコストはさておき上質を最後まで突き詰めたいという一心で。もちろん、菊穴かがりに用いた糸はポリエステルではなく、天然絹糸一択です。
こうして完成したのが今回のリネンストラップです。毎回こうやってオリジナルアイテムを企画・製作してリリースまで漕ぎ着けるのに最低2年はかかるのが当たり前になってきましたが、こだわりを追い求めるといくらでも時間はかかってしまいます。同時に、このアイテムは僕一人で作り上げたものでは決してありません。さまざまな職人さんの技術と知識、そして情熱によって生まれました。
中でも、今回中心となってアドバイスをいただいたのが、ある才気あふれるビスポークテーラーの方です。アイリッシュリネンはビスポークスーツでしばしば用いられる生地。それを上質な縫製で仕立てるというイメージにピッタリだったのが、まさにテーラーでした。元々の着想は1930年代のベンソンの広告の一文でしたが、それをただ復刻させるだけでなく、advintage独自の世界観を求めた結果生まれたのが、この「テーラーによるウォッチストラップ」というコンセプトでした。
現在も好評をいただいているさまざまな革を選んでオーダーメイドが可能なビスポークウォッチストラップ、そして腕時計に付属するレギュラーラインは、紹介ページで語っているように「靴職人によるレザーウォッチストラップ」がコンセプト。つまり靴職人の目線でウォッチストラップを再定義することを目指したわけですが、今回はそのテーラー版、ということになります。
長々と、その商品説明よりも苦労話ばかり語ってしまいましたが、むしろそこにこそ今回のリネンストラップの全ての魅力が詰まっていると思います。職人さんの技術と知識と情熱が結集して、1930年代に存在しながらもそれ以降姿を消していた幻のアイテムを、現代に復活させることができました。完成まで2年もかかりましたが、僕のわがままに付き合っていただいた全ての職人さんに敬意を表します。