プレゼンテーションウォッチに共通するのが、主にクラシックな三針スタイルの極めてシンプルなデザイン。その上品で奥ゆかしいルックスは、不特定多数への贈呈を目的としているため、個人の趣味嗜好をなるべく排除したデザインがベースになっていると考えられます。またさらに数十年に及ぶ長期勤続のリワードという性格上、それなりの価値が担保された金無垢や銀無垢といった貴金属のケースを用いたものが目立ちます。
このような企業における長期勤続者へ時計を贈る福利厚生制度は、主に戦後の1950年頃〜1980年代にかけて欧米を中心に展開し、それ以降は金の価格高騰や終身雇用的な働き方が少なくなってきたことで徐々に衰退しました。その発祥は米国のコラムニスト、ロバート・ローラ(Robert Laura)氏の記事よると1940年代アメリカのペプシ社のプレゼンテーションウォッチであるとされていますが、1930年代の英国においてインペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)社がすでに銀無垢の腕時計を贈っているので、彼の説はすでに覆されています。
上の画像がICI社によるプレゼンテーションウォッチで、1938年製の銀無垢のケースです。ちなみに1930年代あるいはそれ以前の企業によるプレゼンテーションウォッチはICI社以外に存在が定かでなく、家族や恋人、会社の同僚等からのパーソナルな贈り物がほとんど。場合によってはこのICI社が起源だったという可能性もありそうです。さらにこの個体は26年勤続という中途半端な年数の刻印が彫られていますが、その後のICI社によるプレゼンテーションウォッチの金属年数の刻印は25年となります。つまりこの年、同社において25年勤続した従業員へ腕時計を贈呈する制度が作られたのではないか、そして彼はこの時すでに規定より1年長く26年間勤めていたため、このような年数の刻印になったのではないかという可能性も考えられます。
プレゼンテーションウォッチは主にアメリカやヨーロッパ各国で行われていた慣行ですが、とりわけ英国は時計を扱うジュエラーが数多く存在していたことや、歴史的にも金銀製品の製造技術が発達していたことが要因となり、非常に多くの企業によってプレゼンテーションウォッチが行われていました。驚くべきことに、英国では他のヨーロッパ諸国を遥かに凌駕する数の金無垢、銀無垢ケースを用いたハイエンドな腕時計が存在し、いわばプレゼンテーションウォッチというジャンルがひとつの市場を形成していたと思われます。そしてそこに最も適合し恩恵を受けていたのが、英国史上初の国産ウォッチメーカー〈スミス〉でした。
スミス社が当時製造販売していた腕時計は主にメッキケースで、リテールではこの比較的リーズナブルな価格設定だったメッキケースの腕時計や、5石の簡易型ムーブメントを搭載した「エンパイア」シリーズが大部分を占めていました。逆に金無垢ケースを使用した腕時計は高価だったこともあり、当時小売店で一般客が購入する量はごく一部に過ぎず、その多くはプレゼンテーションウォッチとして多くの企業によって大量購入されていました。金無垢ケースを中心とするスミスのハイエンドシリーズは、いわばBtoBで多くの企業によって買い支えられていたのです。
そのため現在入手できるスミスの金無垢ケースのほとんどが裏蓋にプレゼンテーションの刻印を持っていて、特に鉄道や自動車・航空機等製造業、インフラ系といった、当時業績の良かった大企業が非常に多くを占めており、それ以外にも現在も耳にするような有名企業や当時すでに老舗であった企業の刻印を持つスミスも多く見られます。特に本数の多さで目立つのが英国国鉄(BRITISH RAILWAYS)で、1948年の鉄道国有化時に約40万人という非常に多くの従業員数であったため、スミスの腕時計だけでも複数のモデルでブレゼンテーションウォッチが存在します。
また前述のICI社もスミスの腕時計をプレゼンテーションウォッチに採用していましたが、その腕時計の多くは銀無垢のクッションケースモデルが多くを占めており、スミスの場合1947年製の初期モデルと、1950年後半から1970年頃まで製造されていた「デラックス」名義の2種類が存在します。ただしそれらは一般販売されることがなかった特別モデルでした。特に初期モデルの場合、裏蓋に刻まれた贈呈社の退職年を示す数字を見てみるとその多くは1940年から1944年で、第二次世界大戦中の年が目立ちます。それらの年はスミスが腕時計のリリースを発表する1947年以前のことで、おそらく第二次世界大戦の従業員の従軍や戦後すぐの混乱期に中止されていた表彰を後年遡及して行われた際のもので、これもおそらくスミスの何らかのプロモーションが影響しているのではないかと思われます。
(詳しくは » Brand Story: Mystery of Silver Cased ‘SMITHS’.)
ICI社はスミス以外にも、ゴールドスミス&シルバースミス社が手がけたSS製ケースの腕時計もプレゼンテーションウォッチとして採用していましたが、同社がガラードに吸収されたため、その後はガラードが名義となって1960年代末まで製造が続けられました。下はG&S社名義となる貴重な個体。このモデルは勤続20年の表彰時に贈呈されるもので、スミス製の銀無垢モデルは25年と差別化が図られています。もし20年目と25年目でそれぞれプレゼンテーションウォッチが行われていたとすれば、ICI社は特に腕時計の贈呈にこだわりを持っていた特異な性格が透けて見えます。
スミスが腕時計の製造に着手し、実際にリリースしたのが1947年。特にその売り上げを伸ばしたのが1953年のエベレスト登頂を契機とする「デラックス」シリーズのブレイクということで、プレゼンテーションウォッチの高まりとスミスのブレイクの時期がぴったり一致します。むしろスミスはこのプレゼンテーションウォッチという市場に早期に注目していたのではないかと勘繰ってしまうほど、ビジネスチャンスを見事に捉えました。同時にスミスは、他のメーカーが腕時計の性能や価値に重点を置いた広告を行う一方で、贈答品としての腕時計の需要喚起を謳う広告が目立つ点からも、スミスがいかにパーソナルなものも含めたプレゼンテーションウォッチのマーケティングを重視していたかが分かります。
ちなみに、英国国鉄の永年勤続表彰の条件が原則勤続年数45年ということで、当時その腕時計を手にした従業員は10代からほぼ定年まで勤めていたことになります。他の企業によるプレゼンテーションウォッチにも25年、30年といった年数の刻印が見られることから、少なくとも1950年代や60年代の英国において勤続年数は今よりもずっと長かったことを伺い知ることもできます。
もちろんこのプレゼンテーションウォッチという市場に目をつけたのはスミスだけではありませんでした。ガラード、J.W.ベンソン、マッピン&ウェッブなど英国を代表するジュエラーはもちろん、オメガやロンジンといったスイスの名門、ロレックスやチューダーも、デニソン社やBWC等英国のウォッチケースメーカーの金無垢・銀無垢ケースを使用し、プレゼンテーションウォッチに最適なシンプルなデザインの三針時計を英国向けに多数リリースしています。このような例はそのほとんどが英国に集中しており、当時プレゼンテーションウォッチが同国において一大マーケットを形成していたことは間違いありません。
1960年代以降、それまで安定的だった金の価値が徐々に高騰しはじめ、さらにオイルショックによる急激な高騰が決定的となり、プレゼンテーションウォッチは高額な金無垢のケースよりもメッキやステンレススチールが主流となります。またクォーツ時計の誕生によって安価な腕時計が主流化し、高額な腕時計との二極化が進んだことや、市場の多様化によって同じ会社に何十年も勤めるケースが少なくなり、こうしたプレゼンテーションウォッチは再びパーソナルなBtoC路線がメインとなります。
このハロッズの腕時計は、プレゼンテーションウォッチのように思われますが、ケンブリッジシャイアホールに勤めていた従業員が同僚から贈られたもので、おそらく会社で規定された制度的な贈答品としてではなくパーソナルに企画されたものと思われます。その前のロレックスも、おそらく何らかの団体に属していた個人への贈り物と思われますが、企業のプレゼンテーションウォッチが隆盛した1940年代から60年代にかけて、このような個人的なギフトとしての腕時計もその副産物として多く生まれたことも付記しておきたいと思います。
今回はプレゼンテーションウォッチの歴史的背景を中心にご紹介をしましたが、その中で最も重要な点として、それがある種の経済的な市場を形成していたという事実が挙げられます。それはひいては腕時計のデザイン上のカテゴリーとしても確立したジャンルを形成していて、ミリタリー、スポーツ、ドレス、カジュアルといった腕時計のジャンル分けに加わって然るべき存在ではないかと、今回の考察を通じて感じた次第です。