1930年代の腕時計デザインにおけるアール・デコ時代は、まさに百花繚乱。文字盤はもちろんのこと、ケース、ラグなどさまざまなディテールに象徴的なデザインが存在し、その意味を読み解いていく作業も興味深い営みです。

とりわけアール・デコとゴシック建築はどこか似ています。複雑で重厚な構造、折り重なる曲線と直線の幾何学模様。

 

 

また歴史的に見ても、19世紀半ばのゴシック・リヴァイヴァルによるネオゴシック様式の隆盛を経て、続く20世紀初頭アール・デコの世界的流行。さらに両方の様式をアンサンブルにした建築が1920年代から30年代にかけて数多く見られることも、両者の様式美に近しいものがあることを示唆しています。

翻って腕時計に散見されるステップベゼルやフレキシブルラグといった大胆なデザイン性を帯びたディテール。これらは機能性よりも視覚性において有効に働いていますが、それは先進的でモダンなプロダクトであるという当時のブランディングの意図とともに、宝飾品としての側面をまだ残していた当時の腕時計のデザイン志向の表れとも言えます。

 

 

文字盤上のレイルウェイ・インデックスやツートーンダイヤルなどグラフィカルなアール・デコデザインも、このゴシック的ディテールとの絶妙なアンサンブルを生んでいます。

また、腕時計の個性を際立たせるディテールとしてラグデザインが挙げられます。文字盤が人で言う「顔」なら、ラグは「髪型」。1930年代の百花繚乱な腕時計デザインの中心は、このラグデザインにあると言っても過言ではありません。

 

 

シリンダーケースと呼ばれる円柱をスライスしたようなケースデザインも、アール・デコの腕時計に見られる特徴であるとともに、ゴシック的なデザイン性を感じさせるディテールのひとつ。円周と直線で描かれる幾何学的デザインは、視点を変えることで円形にも方形にも見えるシルエットの変化が面白く、同時にその重厚なシルエットにも大きな魅力があります。

 

 

そのデザインはケースだけにあらず、文字盤デザイン、とりわけ針のデザインには目を見張るようなユニークなものが存在します。特にデコラティブな針の形状として挙げられるのが、この「カテドラル」と呼ばれる華麗で装飾的な時分針。その名の通りゴシック大聖堂の尖塔を思わせるシルエットに加え、夜光塗料の剥離を防止するためヨークを張り巡らす針のフレーム構造は、薔薇窓を飾るステンドグラスのよう。

 

 

しかしこうした大量生産の妨げになるような腕時計のイレギュラーなデザインは1940年代後半以降鳴りを潜め、洗練の名の下にデザインはシンプルで生産性の高い形をとるようになります。次第にその大胆なデザイン性が失われ、言ってしまえばつまらないものが多数を占め、その流れは現代に至ってもそこまで変わっていないように感じます。

通常、トレンドは周期的にリヴァイヴァルが起こります。ファッション業界でもかつての過剰装飾に対する反動的トレンドとして一時期「ノームコア」という流行が生まれましたが、その後また新たな装飾志向のトレンドへと変化していきました。

建築様式においても、ゴシック様式ののちに生まれたルネサンス様式は、過剰に高層主義で装飾的であったゴシック様式を否定し、シンプルで幾何学的、左右対称で縦よりも横方向へ伸びる建築を特徴としていましたが、その後バロック・ロココ様式で再度装飾志向の強い建築が流行。またさらにその後の新古典主義様式では、またもや過度な装飾を否定する反動的なトレンドが生まれました。このように時系列で見ると装飾性が上下に振れるようなトレンドの波が見出せます。

しかしながら、腕時計においてはこうした装飾性はアール・デコ以降ほどんどずっと失われており、その代わりに外装の巨大化、肥大化が目立ちます。クラシック回帰のトレンドはあったりもしますが、ケースサイズは大きいままで1940年代の文字盤デザインをしているため極めてアンバランスな腕時計が出来上がるという始末。

腕時計のトレンドがなぜそのような他とは異なる推移をしてきたのかについては研究の余地がありますが、「製造コストへの妥協」が腕時計のトレンドに常に強い影響を及ぼしていると見ています。翻ってみれば極めて良い環境でものづくりが行われていた時代のヴィンテージウォッチの輝きが失われないのも、それが大きな理由となっているのかもしれません。