精悍なドイツ陸軍のミリタリーウォッチたち。
1940年代、第二次世界大戦時に支給されたものですが、こうしてみるとデザインにばらつきがあるのが分かります。その中でも左の2本、レヴュー・スポートとヘルヴェティアは本来ドイツの制式時計を意味するDHの刻印を裏蓋に持ちますが、この2本の個体にはそれがありません。おそらく支給される機会を逸して民生に流れたと思われます。
当時有り余る物量を持っていた米国を除き、各国軍のミリタリーウォッチは戦況の悪化と長期化によって当初発注していた数量では不足するようになり、民生用の腕時計を政府が買い上げて軍用に転化することがしばしばありました。当時ミリタリーウォッチは、そもそもミリタリーウォッチとして作られたものが全てであったわけではないということです。

 

 

 

 

 

同じ文脈で、1930年代から40年代頃、当時英国領であったインドの統治政府のシヴィルサーヴィスに向けて支給された一連の腕時計があります。

 

 

主に裏蓋の内側に CIVIL SERVICE IN INDIA を意味する “C.S. (I)” の刻印を持つのが特徴で、いわゆる文官だけでなく英印軍にも同様に支給されており、その大多数はウエストエンド・ウォッチカンパニーが手掛けた腕時計でした。インドの高温多湿、そして塵埃に耐えるタフスペックが要求されましたが、その腕時計は堅牢さに定評のあるフランソワ・ボーゲル製のケースを纏い、ムーブメントには耐震装置の代名詞「インカブロック」が世界で初めて搭載された、ミリタリーウォッチと遜色ないスペックを持っていました。
ただその中には、ウエストエンド社以外のメーカーが手掛けたものも散見されます。そのメーカーはオメガやロンジン、ミドーやモバードなど、名門を含め非常に多岐に渡ります。そしてそれらの特徴は、明らかにデザイン性に画一性がないこと。下の画像のように夜光インデックスもあれば、ドレッシーな非夜光インデックスもあります。しかし共通点は非常に明白で、機密性の高い堅牢なケースを採用していることと、それらは30mm以下の小ぶりなサイズであったということです。
これらも、ミリタリーユースの範疇にありながらもおそらく民生のスポーツ・アウトドアユースの腕時計を政府が買い上げたものと思われます。

 

 

これまで見てきたように、1940年代当時のミリタリーウォッチとスポーツウォッチの間には、ほとんど刻印くらいしか違いがないということが明らかになりました。
最後の画像は、ミリタリーな面構えだけどぜんぶ1930年代〜40年代のスポーツ・アウトドアユースの腕時計たち。いずれも “SPORTS” をペットネームに冠されています。
まれにお客様でこういう腕時計を指して「これってミリタリーウォッチですか?」という方がおられますが、当たらずとも遠からず。実際その個体が軍に支給されていなかったとしても、全てがNOとは言えないのです。