腕時計の歴史を紐解くと、19世紀にマリー・アントワネットが身につけた小さな時計にブレスレットをつけて腕に纏わせるという装身具がそのはじまり言われていますが、こと男性に関しては長らく懐中時計が主流でした。しかし19世紀末に始まるボーア戦争で、ある将校が懐中時計を革のストラップで腕に固定して使用したことで、男性も腕時計を身につけることが始まりました。
戦争の近代化によって懐中時計よりも戦場で使い勝手の良い腕時計の必要性が認識され、まず懐中時計を腕に装着するための「ポケットウォッチ・リストホルダー」などと呼ばれる革のストラップが商品化されはじめます。
ほどなくして懐中時計にベルトを取り付けるためのラグを溶接した、限りなく腕時計に近いものも生まれました。当時はリストレット・ウォッチやストラップウォッチといった呼び名で、腕時計を指す言葉は定まっていなかった模様です。
上の時計は懐中時計を腕時計サイズにダウンサイズし、リューズを12時位置から3時位置に変更したものの、その形状は懐中時計そのもの。ワイヤーラグはケースに完全に固定されています。裏蓋がヒンジで繋がっているのも懐中時計のディテールそのままと言えます。
第一次世界大戦時にはすでにこうした形の腕時計が広まっていました。敵軍からの砲火を浴びながら塹壕に這いつくばっている時に、軍用のかさばる防寒コートを着ていたりすると、懐中時計を取り出すよりも腕を伸ばして袖口の時計を見た方がはるかに簡単だったことから、司令官だけでなく兵士にもこうした腕時計が支給されていた模様です。
これらトレンチウォッチのディテールは極めて実践的なもので、戦後のスポーツやアウトドアブームも相まって、そのディテールを継承する腕時計が多数生まれました。
特に目を引くのが、夜光塗料をふんだんに用いた大ぶりなインデックスや針が目立つ文字盤です。
なるべく見間違いが起きないよう、懐中時計で主流だったローマ数字ではなく、一眼で判別できるアラビア数字が採用され、また針は夜光塗料を載せやすいよう、コブラハンドやオニオンハンドと呼ばれる形状のものが多く見られます。これは内側にフレームを通して夜光塗料の剥離を防ぐ工夫の結果生まれたもので、現行品でもミリタリーダイヤルに用いられる人気の高いデザインですが、それはむしろ必要から生まれた造形でもありました。